Jan 3 2020 at Yaoundé
年の瀬も押し迫った12月30日にプロジェクト・サイトの村から首都ヤウンデに上京、年越しは都会生活の中で迎えることができました。安定したネット環境、快適な生活環境、冷たいビールに迎えられ大満足。こうしてブログにアップできるのもそのおかげ。現在、新しい京大フィールドステーションを前回プロジェクト・サイトの近隣の村に計画中で、間もなく建設を開始します。今回の設計の肝は、①建物および傾斜した敷地内を激しく打ち、流れる熱帯雨林の雨水を、うまく受け流しつつ、これを活用すること、②内部に安全で静かな研究環境を確保するため、建物が中庭を囲い込む平面型としたこと、③もちろん前回プロジェクトのフィールドステーション建設でも実践した、現地の土を使った無焼成レンガ(インターロック式)建築もここで応用展開します。これらの設計ルールに忠実に作業を進めたところ、図らずも、現代のアフリカの都市・農村空間に典型的な、波板が重なり合うトタン屋根集落の風景が出現しました。
Nov 19th 2019 at Yaoundé
約1週間にわたる熱帯雨林に深く分け入った建設サイトの事前視察を終え、首都ヤウンデに戻ってきた。片道2日がかり(往復4日)の出張。その間、未舗装の凸凹道を走り回って周辺地での建設資材の調達状況調査、地元関係者への表敬訪問を続けた。ほぼ毎日車に揺られ続け、体の芯がガタガタになったが、久しぶりにヤウンデの都会的生活に戻り安堵する。インターネット、熱いシャワー、冷たいビールがうれしい。ここでこれから1年弱の活動計画を立て、いよいよ本格的に森の中での建設プロジェクトに取り組むことになる。
Nov 15th 2019 at Gribé in Cameroon
Two weeks have already passed since I have arrived at Yaoundé on October 30th. Meanwhile, we were preparing to approach the project site in rainforest. We purchased malaria prophylaxis, mosquito repellent sprays, gifts for courtesy visits to local authorities , and some foods.
It was a two-day trip with a project vehicle (Toyota Land Cruiser) from Yaoundé to Zoulabot village where the construction site is located in.
The hotel room for one night on the way was too filthy and it was almost a mosquito nest. So I set a tent on the bed. In about a year from now, I will design and direct the construction work of a soil block building that will serve as an activity base for japanese and cameroonian researchers in the field of non-timber forest resource. The construction will realized with participation of local residents.
10月30日にヤウンデに到着してから早や2週間が経過。その間、熱帯雨林のプロジェクトサイトに入るための準備をした。マラリア対策の薬や蚊よけスプレー、現地有力者への表敬訪問用の手土産(袖の下)、食料品などを用意した。首都ヤウンデから建設サイトのあるズーラボット村までプロジェクト車両(トヨタ・ランドクルーザー)で1泊2日の旅。道中1泊のホテルは不潔でいかにも蚊やヒルの巣窟。気持ち悪いのでベッドの上にテントを張る。これから約1年弱で日本とカメルーンの非木材森林資源の研究者のための活動拠点となる土ブロック建築を設計・建設する。現地住民参加型の建設。
2017.05.19 カメルーンでの国際協力プロジェクトの続編が採択
5月11日、科学技術庁(JST)と国際協力機構(JICA)連携の国際科学技術協力事業(SATREPS)に私も参加する京大アフリカ地域研究資料センターのプロジェクトが正式に採択されました。早くて年明け、遅くとも来年度初めには5年にわたるカメルーンでのプロジェクトが開始されます。プロジェクトの目的はカメルーンを含むアフリカ大陸の中央部に位置するコンゴ盆地の熱帯雨林(アマゾンに次ぐ世界第二の規模)の動物生態調査、目録化と狩猟採集民バカ・ピグミーによる森林資源(動物を中心とした)の持続的管理への提言です。
私の役割は、この調査・研究チームのための施設整備です。現地調達可能な材料(土、木、竹、椰子など)を用い、地元住民の協力を得て、適正技術を見出しながら建設していきます。5年前の先行プロジェクト(主旨は今回と若干異なります)では調査・研究チームのためのフィールド・ステーション(宿泊・研究・集会の機能)を整備しましたが、今回はその100m圏内に3ヶ所のサテライト・ステーションを建設するというもの。
今回は土ブロック建築の現地への普及を特に念頭において計画しようと思います。現地の自然条件や生活慣習、建築文化をしっかり把握した上で適正な居住空間タイプを見出し、これを最小限の手間、費用、工期で可能な限り高いクォリティーで整備するトライアルと考え、取り組みます。
2017.05.18 適正技術研究所+ボランティア宿泊所の複合施設構想
某自治体の観光拠点構想案につづいて、適正技術研究所(建築・農業)+ボランティア宿泊所の複合施設を検討しています。川と道路にはさまれた弓形敷地の一角を占めるもので、宿泊施設、事務所、土分析ラボ、研修室、大屋根工房、農具・工具格納庫、材料倉庫などから成ります。眺望のよい川側には居室群、道路・広場側には倉庫群を配し、その中間部には大屋根で覆われた工房を置きます。ここでは、同自治体の観光による地域おこしに一役買おうと、援農や普請のボランティアの方々が集まるので、その方々が泊まりがけで技術研修を受けたり、活動の拠点となるような施設が求められています。またこの建設も、集まったボランティアの方々と一緒に進めていこうと考えています。そのためには自力建設が可能な簡単な技術だけで建てられなければなりません。もちろん、基礎、水道、電気など専門職でなければ難しい工事は除きます。
敷地は寒冷地の谷底の日当たりの悪い場所にあるので、冬の寒さ対策を中心とした、ライフサイクルを通しての快適性の追求と環境負荷の最小化を強く意識したデザインが必須です。太陽エネルギーの恩恵があまり期待できない条件下、土の建設技術が強みを発揮するだろうと期待しています。現地の土を原料に、土ブロック、版築、段築の技術を用いた蓄熱壁を作り、そこに地熱や薪を用いた暖房システムを導入するとよいのではないかと仮説を立てています。デザインの出口としては、全体の佇まいが小さな一つの集落のように見えるとよいなと思っています。
実際にはどれくらいボランティアの方々が協力してくれるか、材料費の助成はどれくらい得られるか、など難問山積ですが、何とかクリアしていけるだろうとタカをくくっています。これが成功すれば、日本初の土建築とパーマカルチャーの研究所となるかもしれません。皆さん、時が来ればお声がけさせて頂きますので、ぜひ私たちと一緒に土建築の建設に挑戦してみませんか?
2017.03.03 アルベルゴ・ディフーゾ(分散したホテル)
アルベルゴ・ディフーゾ(以下、AD)はイタリアの地方都市で始まった観光による地域振興策です。従来はホテルが集落とは別に存在し、収益ももっぱらホテルが独占していましたが、ADでは、集落の各戸が空室を活用した民泊を経営し、統合運営機能も集落内に置かれます。これにより、観光客は集落をあたかも自分の故郷のように歩き回り、生活することになります。従来型の観光ではなく、地元の人々に受け入れられ、彼らの一員として過ごすことが、滞在者にどれほどの肯定感、癒しを与えるか計り知れません。また、このやり方は一企業による利益独占を退け、現地の人々に直接収益を分配することができます。そして外の空気が入ってくることで、現地の人々にとっても生きがいのある、活力に満ちた日々を取り戻すことができます。事実、ADを導入した集落の多くでは、人口減少が止まり、逆に少しずつ増加し始めていると聞きます。H村でもぜひやってみたいものです。
2017.02.24 観光拠点計画
現在、ある自治体の観光拠点施設の計画に関わっています。まだ基本構想段階につき詳細については明らかにできませんが、面白い計画案となっています。現地の土や木を積極的に使用する基本路線は変えていませんが、建築が場所の記憶を留めつつ、周辺の景観に調和するようデザインされています。この計画の敷地は、古代から近代まで狩猟採集を主な生業としてきた人々が住む地域です。風土から建築タイプの原型を解くと、縄文人の竪穴住居に行き当たります。カシ、クヌギといった広葉樹の原生林を、男たちはクマやシカ、イノシシを狩り、女たちは果実や木の実を採集する、そんな古代の生活の舞台を最下層とし、貴族の時代、中世〜近世の武士の時代、近代〜現代まで、この土地には幾層もの生活文化の地層が積み重なっています。おそらくこれらの歴史を通して一貫して建築(住宅)を決定してきたのは、風土であったと考えています。古代から現代までを貫く背骨として風土を考える。そしてその歴史を受け止め、未来に継承していくことを、私は自分の仕事の存在理由と考えています。人は自分や家族や友人と共有した記憶のない場所には、愛着も、安らぎも見出せません。私は、その土地の風土を背骨、人々の記憶を肉として、これらを引き継ぎ、未来に伝えていくような仕事をしたい、と熱望しています。
2017.01.28(土) 農業インフラ・ワークショップ「みんなで考えよう!遊休農地のこれから」の開催
東京都下のH村では昨今の過疎化の波を受け、就農者の人口減少・高齢化が進み、これに伴い鳥獣類のテリトリーが徐々にヒトの生活圏を侵食しつつあります。そのため、かつて美しかった里山の斜面畑にも耕作放棄地が増え、そこが鳥獣類の格好の餌場や隠れ場所となっています。そして、せっかくの農作物を荒らされた高齢就農者たちの耕作意欲は大きく削がれ、それがさらに斜面畑の荒廃に拍車をかけるという悪循環に陥っています。
そこで問題解決のアイデアを広く募るためのワークショップを開催しました。この負の連鎖を断ち切り、さらに都市からの新規就農者を呼び込むような、魅力的な農園を創り出せないか?という問いかけに対し、十数名のボランティアの皆様が応答して下さいました。メンバーは村や近郊に住まいの方々や都市部からいらした方々で、年齢や職業もバラバラですが、皆さん一様にH村の農業や里山文化を愛し、現状をなんとか打破したいと願っている方々です。全メンバーを3〜4人の3グループに分け、それぞれにアイデアをまとめて発表していただきました。期待した通り、じつにユニークなアイデアをたくさん出していただけました。これらをアイデアの「種」として、これからもH村の農地の調査・研究をすすめ、さらに村の達人の皆様の意見も頂きつつ一つの案にまとめ、実現まで漕ぎ着けていきたいと思います。参加ご希望の方はぜひメールでご連絡ください。その際には当ホームページのCONTACTボタンを押していただけますと、メールのページが表示されます。
2016.11.19(土)「土の家」プロトタイプ計画
このブログでも断片的に触れられてきた廃校改修計画ですが、これまで限られた関係者の間で議論・検討されていた改修計画が、現段階では地元自治会や村レベルの案件になりつつあり、何事も自分たちのペースのみで決めていく訳にはいかなくなりつつあります。これは実現化に向けた重要なステップではあるのですが、一方で私達の活動をスローダウンさせてしまうきらいもあります。そこで、廃校改修工事後に開始すべく以前より温めていたアイデアを、廃校改修に先行して実行に移していくことにしました。具体的には、土の建築技術の研究所(ラボラトリー)の整備(土ブロックのプレス機や、各種土質試験機材の調達)と、「土の家」プロトタイプ建設です。
現在、私達のNGO人間居住機構は、H村をベースに活動を展開しているNPO・さとやま学校・東京(以下、「さとやま学校」という)の建築部門を担当しています。さとやま学校は毎週土日にコンスタントにH村の斜面畑で農作業をしていますが、その斜面畑の周辺に、皆が休憩し、作物を乾燥させたり貯蔵するためのゲストハウス建設が要請されています。そこでこの案件実施の機会を生かし「土の家」プロトタイプを建設することとしました。下図は初期スケッチで、基本的アイデアが全てそこに現れています。これからこのアイデアを磨き、実施と普及に耐えるものに仕上げていきたいと思います。乞うご期待。
2016.10.19(水) ムサ美・鷹の台キャンパス
今日はちょっと建築設計関連の調べ物があったので、図書館の利用を目的に母校・ムサ美を久しぶりに訪れました。正門から入って右側の12号館(?、確か在学時はそうだった)の前庭で、何やら楽しげに竹の工作物を作っている学生たち(多分、建築学科?)を見つけました。私が学生だった頃、このような体をつかったワークショップを求めていたのだけれど、結局は大学での座学と自宅での設計だけの実習スタイルから抜け出せてはいませんでした。近頃は、このように実物大の構造物に体全体で取り組むワークショップが増えてとても好ましいことだと感心しました。ところで本日の移動時間は、拠点の檜原村から車で1時間ちょっと、驚きの近さです。こんな近くにこんな気持ちの良い場所があったなんて灯台下暗しでした。卒業生は本を借りることは不可だけど、閲覧、コピーは自由にできます。入館証も作ってもらったことだし、これからは十二分に活用しようと思います。本を買う必要もなくなりそう。
2016.10.14(金)H村F地区自治会との会合〜15(土)京都大学F教授のNPOさとやま学校・東京訪問
14日(金)の夜、私も参加しているNPOさとやま学校・東京の本拠地であるH村・F地区の自治会の皆様と会合をもち、今後、私たちNPOと自治会とがより一層緊密に連携して活動をしていけるよう協議しました。翌日の土曜日は、休日を利用して京都大学のF教授が私たちのNPOの活動現場の視察に来られました。先生は農業のための土壌学を専門とされており、来年夏のゼミの訪問先の一つとして私たちのフィールドも検討されている由。面白くなりそうです。先生には私たちのNPOの活動イメージ図を説明させていただきました。その日の午後は近所に住むKさんから刈払機の操作法と使いかたについての指導を受けました。F小学校(廃校)の校庭はこの一夏で雑草がぼうぼうと生え茂り、手の施しようがなかったところでした。この刈払機で一気に雑草をやっつけてしまいます。
2016.10.10(月)三連休の最終日 檜原村
イノシシに荒らされた畑に生き残っていた大豆は、枝豆としてすべて収穫され、本日の昼の食卓に上ることとなりました。枝豆ごはん、枝豆のてんぷら、枝豆の塩炒り、豚汁(豚肉をイノシシ肉に見立ててリベンジ)と香の物。夕食も枝豆三昧です。ごちそうさまでした。
2016.10.08(土) 檜原村・大豆畑のイノシシ除けフェンスの設置
昨日イノシシに荒らされた大豆畑の中に2m四方の区画を波板と鉄筋杭で囲い込みました。種を保存するためです。日頃からお世話になっている村民のK氏のお取り計らいで、重要文化財・小林家住宅の敷地内に廃棄物として保管されていた中古の波板を譲り受け、畑のイノシシ除けフェンスに使うことにしました。小林家住宅に波板を頂きに行く際、村人専用の山岳モノレールに便乗させていただきました。このモノレールは3人〜5人乗りで、小さなエンジン一つで42度の急勾配を難なく登っていきます。レールを支える柱の基礎にはコンクリートは用いられず、パイプの柱を岩盤に当たるまで打ち込むか、50cmほど打ち込んだ後それ以上沈み込まないようにお椀を被せたような部品によって土を掴みます。この基礎の設置方法は、樹木の間を縫うようにコースを決めながら、膨大な数の柱を打ち込むのに適しているほか、撤去も簡単です。この方法はどこかの建築案件にも応用してみようと考えています。その日の終わりに大豆畑のイノシシ除けフェンスの設置を終え、それ以外の残りの大豆は枝豆として収穫、お世話になった村の皆さまに配りました。
2016.10.07(金) 檜原村
今日は悲しい(悔しい)報告があります。これまで私たちが大事に育てていた大豆(枝豆状態)の畑がイノシシに荒らされ、ほとんど食べ尽くされてしまいました。春先に苗を育て、畑の雑草取りの後、耕し、苗を植え、さらに雑草取り、サル除けの網を張ったばかりで、あと一月後には収穫を控えていました。これまで大豆の敵はもっぱらサルと言われていて、イノシシはノーマークでした。どうやら山の木の実などが今年は少なく、腹を空かせたイノシシがこれまで関心を示さなかった大豆にまで手を伸ばしたようです。
今後は、鉄筋や波板をつかって、イノシシが畑に入れないように対策を講じる予定です。今日はそんな話をしながら、皆と一緒に昼食をとりました。本日のメニューは、ボローニャ風パスタとニース風サラダ。たいへん美味しくいただきました。ニース風サラダには、私たちが栽培したジャガイモ、インゲンのほかに、キャベツ、キュウリ、セロリ、トマトといった地場の野菜がふんだんに使われています。(その他には黒オリーブ、ゆで卵、ツナも使います。)
嫌なことがあったときには、皆で美味しいものを食べ、話し、笑い飛ばすのも、明日への活力を生むのにとても大切なことだと実感されます。
2016.10.05(水) 京都・桂
京都大学大学院の桂キャンパスに社会基盤工学科地盤工学専攻の木村亮(きむらまこと)教授を訪ねました。木村先生は京大大学院で地盤工学の教鞭を執られるかたわら、世界の開発途上国を飛び回り、現地住民に土のうを使った道直しを指導して回っています。(ホームページのアドレスは、http://coreroad.org/です。)途上国農村部では、道がぬかるんでいるだけで農産物を市場に運ぶ手段が断たれて作物を出荷できず、本来得られるべき収入を失ってしまうことが珍しくありません。この問題の解決のためには住民自身の手で、現地にある材料を用いて、簡単に道を修復できる技術が求められていました。そこで木村先生は、これまで主に防災や護岸等の仮設工事に用いられることの多かった日本の伝統技術である土のうを道直しに応用することを思い立ち、大学での工学的検討を重ね、実際に途上国の貧困削減に向けて実践を始めました。もうこれまで25ヵ国で13万km超の道直しをしてきました。
先生の本来の専門はトンネルや橋といった土木構造物の基礎とその地盤に関する高度な工学分野です。私は建築分野の人間として、先生には地盤や建築基礎の構造について技術指導していただいています。また、土を用いた適正技術により開発途上国の人々に活力を与え、貧困削減に寄与しようとする先生の姿勢は、土木と建築の分野の違いを超え、私の活動理念と完全に軸を一にするものです。今後も先生と一緒に、世界の貧困削減のために土の建設技術の普及に邁進していく決意を新たにしました。
今日は、安部首相のイニシアチブによるアフリカ留学生受入プロジェクトの枠組みで、先生の研究室に入学が予定されているアフリカからの2人の留学生(現在は研究生)が同席しました。左はブルキナファソからのクリスチャンくん、右はカメルーンからのアジェンディアくん。彼らは私の土構造研究のパートナーとしても、今後一緒に活動できればと思っています。木村先生は、彼らが3月に晴れて木村研究室に入学が許された暁には、檜原村の私の活動拠点(人間居住機構・さとやま学校東京)に2人を1週間ほど派遣するとおっしゃって下さいました。来年の春は賑やかになりそうです。かれらの研究課題を作っておく必要があります。
2016.10.03 渋柿採りと柿渋づくり(その2):柿渋しぼり
9月22日に採った柿をその日のうちに砕き、一気に絞ってしまうのが理想なのですが、そうは簡単にはことは運びませんでした。ミキサーも貯蔵用容器もないのに気付き、急遽、砕いたままの柿をそのまま冷凍し、時間稼ぎをすることにしました。結局、5日後の28日に解凍してミキサーがけ。ラップをかけて3日間常温放置。10月2〜3日に絞りました。最後はペットボトルに詰めて冷暗所に保存しました。結局、1本の柿の木から25kg超の柿が採れ、最終的に約18ℓ(約19kg)の柿渋ができました。一つ心配なのは、ミキサーがけした際に加えた水の量です。できるだけ少量になるよう調整しましたが、十分に濃い柿渋が採れたのか、これから試験してみます。
現在、私たちの事務所のある藤倉小学校の裏山には国の重要文化財の古民家「小林家住宅」があり、原料の渋柿はそのすぐ近くに立つ木から収穫されました。そこで「小林家住宅」の管理人さんにお話ししたところ、我々の柿渋を買い上げ、「小林家住宅」の木部メンテナンスに使いたいとの申し出を受けました。古民家の保全・維持にすぐ近くで採れた柿渋を使って頂く。これは私たちの柿渋の使われ方としては理想的なものです。このように、古くても優れた技術、忘れ去られた技術を復活させ、蓄積し、現代の檜原村にフィードバックしていきたいと思います。
さらに面白いのは、この技術はおそらく世界の熱帯地域に位置する開発途上国の農村部でも、広く通用・応用可能と見られることです(渋の原料タンニンを多く含む植物は熱帯林に豊かに自生する)。このように、日本と世界の農村部で適用可能な技術の開発とその応用を続けていきたいと思います。
2016.10.01(金) 昼食
午前中に大豆畑の猿網がけを終えた、その日の昼食。メインはタイ料理のガパオ(鶏ひき肉ごはん)。付け合わせは、午前中に畑で収穫したインゲン、大根の間引き菜のサラダ、朝食の残りのジャガイモのガレット(このジャガイモも私たちの畑で採れたものです)。これに全粒粉パンケーキと舞茸入り豚汁。地場野菜のご馳走です。
少しずつですが、毎日の食卓にのぼる食材に占める自分たちで育てた野菜の割合が増えていっているようです。これらの料理はみんなで手分けして作ります。
2016.10.01(金) 大豆畑の網かけ
先週の金曜日、6月に植えた大豆が実り、収穫まであと少しまで漕ぎ着けました。でもここで油断は禁物です。美味しくなってくる作物をお猿さんが狙っています。ここではそのまま食べて「おいしい」作物はすべて猿の餌食になる可能性があります。そこで猿網がけです。大豆の区画全部を覆う網をかけ、周囲をペグで止め、猿が入れなくします。猿の他にハクビシンも私たちの大豆を狙っています。ここの大豆は少しだけ枝豆として収穫しますが、大部分は黄色く枯れるまで放置し、しっかり乾燥した大豆として収穫し、最終的には同じく私たちの麦と一緒に麦味噌の材料となります。この麦味噌の味は絶品です。嘘は言いません。ここを訪れた方々だけが味わうことができます。お待ちしています。
2016.09.23 渋柿採りと柿渋づくり(その1):シブガキ隊の活躍
柿渋づくりに適した、タンニンをもっとも多く含む渋柿が収穫できる時期、そしてボランティアの皆さんが集まりやすい時期を見込んで、9月23日を渋柿採りの実行日に決めました。渋柿をまだ青いうちに採ってしまわないと、猿の餌になり、彼らのテリトリー拡大を許すことにもなってしまいます。そのようなわけで、当日はあいにくの雨でしたが渋柿採りを決行しました。まず裏山で切ってきた竹の先端を二股に割いて柿取りのための道具づくりから始めました。その道具を各人がもっていざ裏山の柿の木の下へ。小粒でもはち切れんばかりに育った柿を6人で収穫し、籠いっぱいの25kgの柿が採れました。藤倉小学校にもどり、柿の粉砕、ミキサーがけ。ここでミキサーが故障し作業中断。砕いた柿を急遽冷凍し時間稼ぎをしました。ミキサーは新品でしたがすぐにパンク。明日、保証書をもって、製品交換してもらいに量販店にいってきます。はじめてのチャレンジなので、いろいろな障害物に突き当たります。さて、柿渋は完成するのだろうか?追って報告いたします。
2016.09.13(火) 檜原城
檜原村にも中世(鎌倉〜室町時代)にはお城があったそうです(檜原城、写真下2枚共)。お城と言っても平地にある豪華な近世のお城ではなく、険しい山地の頂部に建てられた質素な山城です。その立地から、建築材料の石、土、丸太は周辺の森から調達する他なく、戦の要所なので迅速に建設する必要があったはずです。これはまさに私が追求している現地主義の適正技術をもちいた建築法で、その基本的な考え方はNASAのISRU(In-situ Resource Utilization)という最先端の建築思考にも通じています。ちなみにNASAは現地の地面の土を用い、古代エジプト人が用いたドーム建設の技術を応用して、火星の有人ステーションを建設しようとしています。その方が地球から資機材を運んで建設するよりずっと経済的かつスピーディーだからです。「資源の現地調達」は、中世の山城の建築術と未来の有人宇宙ステーション建設法に共通する、きわめて合理的な考え方であることが分かります。この考え方をここ檜原村でも追求していくつもりです。
2016.09.10(土)檜原村藤倉ドーム
檜原村藤倉地区の秋祭りの本番が地区の中心部にある集会施設で開催されました。メインは中世から伝わる三匹獅子舞です。朝9時から夜12時頃まで続く長丁場で、獅子を演じる3役の男性(5〜6人でローテーション)、神域を構成する4役の女性(7〜9人でローテーション)は、長時間演じ続けます。特に囃子笛の方々(3名)は交替なしで初めから終わりまで通して吹き続けます。すばらしい集中力と体力です。私は来年の囃子笛の吹き手として仲間入りをめざし、これから1年間の練習を始めます。本気で取り組みます。
2016.09.04 檜原村・藤倉地区の秋祭り準備
檜原村では毎年伝統の秋祭りが催されます。9月の週末にはどこかしらの地区から古式ゆかしいお祭り囃子の音が聞こえてきます。五穀豊穣、家内安全を祈念して大陸から伝わる三匹獅子舞を中心とした祭りを村人総出で盛り上げます。私の住む藤倉地区のお祭りは9月10日(土)です。この4日には獅子舞の衣装の飾り付けや会場設営を行いました。祭り準備の前日には私も参加しているNPO法人「さとやま学校・東京」実践農園の活動をお手伝い。もうじき収穫を迎える旬の粟(あわ)、黍(きび)、蕎麦の実を鳥から守るためのネット掛けをしました。夜には同NPOの運営会議と夕食会。地元野菜をぶんだんにつかった料理のバイキング、こちそうさまでした。
2016.08.19 裏山の杉林と竹林
檜原村・藤倉小学校近くの竹林に竹の採集に出かけました。畑の作物を鳥獣から守るための網がけの支柱として竹が必要となったためです。幸い近所の長老の方から許しを得て、その方の土地から竹を切り出しました。この辺りの竹はやや細めの真竹で、網の支柱にはちょうどよい太さです。地元の材料を昔ながらの方法で農業用インフラに積極利用することで、急速に失われつつある里山風景の再生に少しでも寄与することができればと思っています。この辺りの杉間伐材も積極的に採集して、いろんな用途に利用していこうと思います。例えば足場、家具、農業インフラ等々。ところで、そろそろこの辺りの土の利用も本格的に考え始める必要があります。建材に利用するための土の適性試験を皮切りに、無機、有機の安定剤の研究等々、やるべきことは山積みです。
2016.08.15 チェコ風昼食
檜原村での農作業、竹採りにチェコからのボランティアのPさんが参加されました。作業の合間に皆で作る食事が楽しみの一つですが、今日の昼食はPさん手作りのチェコ料理、ブランボラーク(ジャガイモのパンケーキ)とハンバーグです。美味なり。ブランボラークは私の定番メニューに決定しました。旧東欧諸国の肉料理は絶品と聞き及んではいましたが、今回が初体験でした。ハンバーグは日本で流行の肉汁あふれる感じではなく、ガチっとしっかりした赤身のもので、噛み締めるほど肉の旨みが口いっぱい広がります。私はこちらのほうが断然好み。ところでブランボラークに使用されたジャガイモは檜原村で収穫された無農薬の男爵。これもまた滋味深し。
2016.07.31 お昼の食卓
「さとやま学校・東京」での昼食。地元・檜原村のおいしいパン屋さんのパンをつかった鯖サンドです。付け合わせには地元野菜のサラダとコーヒー。皆で食べる食事の美味しさは格別です。これらの野菜は近くの直売所で調達します。とにかく新鮮で安い!
2016.07.30 廃校の柿の木
廃校の柿の木に一つだけ実がなっているのをみつけました。渋柿の収穫は7月〜8月といわれているので、そろそろ実のつき始める頃です。しかしこの柿、猿の餌になるらしく、収穫前に彼らにやられてしまったら、たまったものではありません。できるだけ大きく実ったときに、でも猿に取られてしまう前に、何としても収穫してしまいたいものです。この柿はまだ青い渋柿の状態で収穫し、果汁を絞り、柿渋の材料とします。そしてこれから作る家具や建具の木部に塗布され、防腐・防蟻・防水の用に供されます。色合いは自然な褐色で、これに墨やベンガラなどの色素を混ぜると自在な色彩を表現できます。
2016.07.29 廃校改修計画の村役場への説明
本日10時〜11時檜原村役場にて、村内のある廃校の改修計画について説明の機会をいただきました。全体の改修グレードの目標設定、改修方法(耐震補強、空間構成、美観整備、環境配慮など)および工期について簡単に説明しました。ここから先は村の政治的判断に委ねることとなります。この計画をふくめ、今後、この地でこれからの山村のあり方とその活性化にかんするモデルとなるべき事業を展開し、全国に発信していきたいと思っています。日本国内の問題解決に対しても、地域主義(伝統文化継承、材料の現地調達、住民参加型)の建築がどこまで貢献できるか、いわば一つの社会実験として取り組んでいきたいと思います。
2016.07.17 檜原村「さとやま学校・東京」MTG
廃校修復計画と修復後の施設(ゲストハウス+ワークショップ・アトリエ)を使った活動プログラムについて、関係者が集まってのミーティング。これらの活動のためにNPOを組織することが決まっています。名前は「さとやま学校・東京」。廃校を活用した新たなスローライフを追求するための「学校」です。私はこの「さとやま学校・東京」にも参加し、現地主義の「建築塾」なるものを担当する予定です。現在プログラムを鋭意検討中。まずは7月〜8月にかけて檜原村で収穫できる渋柿をつかった「柿渋」の生産を予定しています。この柿渋は、来年度の廃校修復工事に使用されるはずです。
2016.07.11 檜原村の渋柿
畑の端っこに落ちている若い渋柿を見つけました。7月から8月にかけてのまだ青い渋柿が「柿渋」の原料になります。柿渋は染料や手工芸品の塗料、あるいは家具や建築物の防腐・防蟻塗料となるので、ぜひ廃校リノベーションやダーチャ計画(農地付き別荘)に使ってみたいところです。ここ檜原村ではこの渋柿がたくさん実るのですが、放置され、猿の餌になってしまっています。そこでその渋柿を原料に柿渋作りに挑戦したいと考えています。大量に採取した渋柿はミキサー(当座は家庭用)でスムージー状にした上でさらしで絞って漉す、これで完成。あとは半年から3年ほど寝かせると使えるそうです。まずは調べながら、恐る恐るではあるが、チャレンジしてみたい。
2016.07.09 檜原村の農場
本日、友人の農場で大豆を植え付けました。この農場は南向きの急傾斜面にあり太陽光を効率良く受けることができるので、作物の育ちが格段に良いようです。限界集落にはこのように山間部の急斜面に農場をもつ農家が多く、所有者の高齢化により耕作が放棄された農地が増えています。友人はこれらの農地を借り受け、そこで無農薬の穀物や野菜の栽培を続けています。この檜原村の急傾斜農地に小さな小屋を建てる計画です。その小屋は作業時の休憩所、農具置場、作物乾燥場等の役目を持ちます。この辺りの土を手で触れてみると、その粒度分布のバランスが非常によく、土ブロックを作るのに適しているのが分かります。東京都下にあって土建築に適した原料土や石灰(もちろん木材や竹も)を産するここ檜原村は、人間居住機構の理念「現地適応型建築」の実践に最適のフィールドです。
2016.06.30 アフリカ「森の合宿所」計画
この計画は、すでにアフリカの熱帯林の中に建てた日本の某大学のフィールドステーションを核として、その両翼に団体宿泊用の宿泊棟・トイレ・台所・浴室を増築したものです。環境教育の一環としてヨーロッパや日本からの小学校〜大学までの児童・学生の団体を受け入れることができます。中庭では現地ピグミーの人々によるモングル(木の枝で作るテント)建設や、ポリフォニー(ピグミーの合唱)の実演といったワークショップやキャンプファイアーなどを楽しむことができます。また森の中に出て行き、環境学習や研究活動を展開するための拠点としても機能します。現在、この「森の合宿所」や「土ブロック建築普及計画」を含むアフリカでの後継プロジェクトを形成中です。
2016.06.29 廃校リノベーション計画
ある限界集落に遺る小学校廃校のリノベーションを計画中です。改修後は地域の伝統的生活文化の体験学習施設+宿泊施設の複合施設となる予定です。既存建物は戦後ベビーブーマーたちの小学校入学時期(1950年代)に建てられた築60年の木造校舎です。当時は村人総出で建設にあたったとのことで、それだけにOB/OGである周辺住民の皆さんのこの建物に対する愛着には並々ならぬものがあります。その建物を、都市と農山村の交流をとおして現地文化の継承・保存・発展するための施設に生まれ変わらせます。
改修工事には、古今東西の適正技術からもっとも現地に即したものを選び、応用していきます。もちろん、木・土・竹・石灰など、現地の自然素材は最大限に活用していきます。そして工事プロセスそのものを一連のワークショップとして参加者を募り、皆さんに技術を習得して頂こうと考えています。ぜひ多くのセルフビルダーの方々の参加を期待したいところです。
2016.06.27 檜原ダーチャ計画
かつて日本の山村では、急峻な傾斜面を等高線に沿って整えられた耕作地が、その土地ならではの美しい山村風景を形成していました。ところがいまではその多くが限界集落化しつつあります。住民の高齢化が進み、過酷な労働を要する傾斜地農業が忌避された結果、放棄される耕作地が増加するばかりです。また、限界集落は人間界と自然界の境界線上にあり、そこは動物(猿、鹿、クマ、イノシシ等)や雑草などの植物と人間とのせめぎ合いの場でもあります。ここで生活を営むということは、これら動植物の個体数増の圧力から自らの生活圏を守り通すことに他なりません。
檜原ダーチャ計画(ちなみに「ダーチャ」とはロシア語で農地付き別荘のこと)は、このような状況に対する一つの解答となればという思いから提案されています。傾斜した農地の中に週末別荘として使える小屋を設え、その周辺に広がる農地の側面・上面には動物避け(鳥、猿、イノシシ、鹿等)のネットを張り巡らします。広い範囲に張るネットは、等間隔に配置されたヤグラ(竹・間伐材使用)によって支持されます。ヤグラ下部には小さな水平面を設け、傾斜地での農作業時の休憩用に供します(傾斜地では立っているだけで大変疲れます)。ヤグラ上部にはソーラーパネルを配し、動物避け電気ネットの電源とします。これらの小さな週末別荘や農業用インフラが配置されたサイトの様子は、新しい農村風景のあり方を示すものとなるでしょう。
大都市近郊の山村という地の利を生かし、都心から車で1.5時間以内でアクセスできる農地付きの週末別荘をリーズナブルな価格で販売あるいは賃貸することで、山村部と都市部のニーズをWin-Winの関係で結ぶことができれば素晴らしいことではないでしょうか。 都市部の人々には、大自然の中での農作業をとおして自らオーガニックな野菜や雑穀を育て収穫し、心と体の健康をとり戻して頂きたいし、いっぽう山村部の人々にも、先祖代々手塩にかけてきた農地が日々荒廃し、村が衰退していくのを何とか食い止めて頂きたいところです。そして、少しでも都市から農山村へと人口移動が進み、都市の過密と農山村の過疎がうまくバランスするようになれば理想的です。
まずは小さなプロトタイプを一つ、檜原村のどこかに建ててみようと思います。乞うご期待。
2016.06.08 檜原村(東京都西多摩郡)
これまでフランスやアフリカ諸国で取り組んできた土の建築を日本でも実践するため、構造物に適した土を産し、木材等の天然資源にも恵まれた檜原村に拠点を移転しました。ここの土は、バランスのよい粒度構成をもち、水を含んでも膨張しない粘土を含む建材向きのもののようです。ここで廃校のリノベーションや農地付き小別荘の計画があり、その準備のために廃校の一室を間借りして当座の事務所と住居を設えました。檜原村には古代からの連綿と連なる歴史の積み重ねがあり、現在でも村の生活の端々に江戸文化の余韻が感じられます。今後はこの檜原村の自然、伝統的文化・社会を踏まえつつ、明日につながるような創作活動を続けていきたいと思います。もちろん、これまで取り組んできた国際協力としての建築活動も、檜原村と同様「現地の伝統的文化・社会を踏まえた創造」をモットーに続けていきます。
2015.04.15 イスタンブール
関空から出国、カメルーン行きの便でのトランジットでイスタンブールに12時間足止め。トルコ航空がホテルを用意してくれた。空港のパスポートコントロールを出て隅っこの「ホテル・デスクに行け!」と空港スタッフに言われた通りに行くと、オレンジ色で目立つように「HOTEL DESK」と大書きしてあった。しばらくカフェで待っていると、事務所から出てきたスタッフに10名ほどが呼び出された。そのままシャトルバス乗り場に案内され無事ホテル着。以外と豪華で満足。ゆっくり休み、9時間後にはまた空港行きシャトルバスの呼び出しがかかるとのこと。至れり尽くせり。
2014.12.31 モロッコ・タルーダント
タルーダントは大西洋岸のリゾート地アガディールから内陸部に10kmほど入った地点に位置するベルベル人の古都。「ミニ・マラケシュ」とも言うべき素敵な街です。特に旧市街を取り囲む城壁が特徴的で、取り囲む面積も、その壁の高さも、マラケシュのそれより二回り以上小さい。この寸法が防御のための砦という本来の表情を幾分和らげている。この街で話題の格式あるホテルに数泊滞在し、年越しをすることになった。この一家とは古くからの友人関係にある。今回はありがたいことにこの家族に何から何までお世話になった。深夜零時に新年の挨拶を待つ日本の家族に電話を入れる。皆様、本当に旧年中はお世話になりました。世の中、大変な時期ではありますが、新年が皆様にとってすばらしい年でありますよう、祈念いたしております。
2014.12.28 モロッコ・ワルザザート
約3年ぶりのワルザザート。ここは17年前私が青年海外協力隊員として派遣されたサハラの入口の街である。ここでカスバ街道と呼ばれる幹線道路沿いの古い集落の現況調査を行なった。この街には3年間滞在し、多くの友人も得た。今でもその大多数はホテルやカフェなど、昔の職場に健在で、いつも暖かく迎えてくれる。私は17年前の職場に顔を出し、先般、この地一帯を襲った大雨・洪水の被害状況などについて話を訊いた。幸いワルザザート中心部の被害はたいしたことは無かったものの、郊外やもっと南のスース地方、西サハラ地方では甚大な被害があったそう。この地域には構造計算されていない土着の民家が多くあり、このような天災には非常に脆いことが問題となっている。なんとか力になれないか?
2014.12.26 モロッコ・ラバト
ラバトの友人宅に居候。この家族とは18年来のお付き合い。夕食には本当にひさしぶりのタジン料理(牛肉とプラムの煮込み料理)に舌鼓。自家製のパンと食す。友人の娘さんとの初対面、はじめはやや緊張気味の彼女ではあったけれど、時間が経つにつれて徐々に打ち解け、素敵な笑顔を見せてくれました。どうぞよろしく。
2014.12.25 トルコ・イスタンブール→モロッコ・カサブランカ
クリスマスというのになぜかモロッコ行。半分遊び、半分は仕事の事情で、年末年始は当地で過ごすことに。久しぶりのカサブランカ〜ラバトの車窓からは、十数年前に訪れた頃には無かったホテルや工場が次々に開発されている光景が広がります。この国はずいぶん発展したなぁ、と感慨しきり。
2014.12.23 名古屋
コンゴ民時代にお世話になったS先生一家を訪ねました。久しぶりの再会で昔話に花が咲きました。数々の名古屋メシも堪能。ひつまぶし、天むす、小倉トースト、コメダコーヒー店などなど。圧巻はトヨタ機械博物館。ギザギザ屋根の旧工場跡を博物館にリノベーション。すばらしい展示空間が出来上がっていました。
2014.10.12 アンドム村FOSASプロジェクト監理委員会
同委員会はアンドム村の4つの街区でのキャッサバ増産、製品生産性向上、収益向上にかんする活動を束ねる役割を担う。いわばアンドムの農協のような存在である。この委員会がFOSASプロジェクト(日本の協力プロジェクト)終了後の自らの活動について、自発的に村の代表者間で協議を始めた。現在、同委員会の運営規約の策定に取りかかっている。続いて各キャッサバ加工施設に組織される監理事務所の運営規定も策定される予定。うまく軌道に乗れば、2016年6月のFOSASプロジェクト終了後には、自分たちの足でしっかり走り出していることであろう。
2014.10.11 アンドム村
今年の6月末に竣工したキャッサバ加工施設の使い勝手について、3ヶ月間の試用期間を経た時点での評価ワークショップを開いた。良かった点/改良すべき点について、村人からは忌憚ない意見が聞かれた。改良すべき点について、その解決にはもう日本側のファイナンスはないこと、そして施設の運用資金やメンテナンス資金は住民による分担が必要なこと等の認識が、話し合いの中で自然に共有されていった。これから村人自身による持続的な施設運用の取組みが自発的に始められることを見守っていく。
2014.10.03 ヤウンデ
エール・フランスのストライキのあおりを受け、3日間の足止めの後10月2日にヤウンデ着。翌日3日の9時からJICAカメルーン事務所にて、現地における居住改善分野のアクター(国連開発計画、国連難民高等弁務官事務所、ユネスコ、ユニセフ、ヤウンデ社会基盤大学、ヤウンデ建築大学、地域材料促進計画MIPROMALO他)を集めての「インターロック式圧縮土ブロックと土のうを用いた住民参加型の居住環境整備手法」普及ワークショップに出席、これまでのカメルーンでの成果を発表した。今後の取組みとしてカメルーンでの普及活動を継続させる旨の発言に対し複数機関から協力・連携の申し出があった。当日の発表資料と建設ガイドの電子データ配布を行なったところ210件のダウンロード報告があり、反響の大きさに驚く。
2014.10.01 グルノーブル CRAterre-ENSAG
エール・フランスのストライキのため9月29日に予定されていたカメルーン行きが延期されていた間、偶然同じ時期に南仏にいらしたマルキン先生から連絡があり、10月1日にクラテル(土建築国際センター)創設者のパトリス先生の退官出版記念パーティーがクラテルにて開かれ、そこにマルキン先生も出席されるとのこと。私も急遽、同パーティーに参加することになりました。夕方6時からパトリス先生の40年間の歩みをテーマとしたスライド会が上映され、冒頭でマルキン先生のドローイングが相当量映し出されました。パトリス先生とマルキン先生の深い絆を感じるひとときでした。また、お二人は土建築だけでなく造形教育の面でも志を一つにしておられることがよく分かるスライド会でした。
2014.09.26 グルノーブル CRAterre-ENSAG
これまでのカメルーンでの土建築に関する活動(建設/研究)を論文にまとめ発表する機会を得た。本来ならば2年前の2012年9月に発表されるべきものであったが、建設業務に忙殺され論文を書き進めることが困難であったこと、そしてプロジェクトがまだ進行中であり、これらが一段落した段階での執筆を指導陣から勧められたためでもあった。こうしてようやく論文を提出することができた。今後の土建築国際センター・クラテールとの関わりについては、近い将来の研究/プロジェクト実施/土建築の普及活動での協力についての協議に入る。
2014.07.05 北九州
これから約3ヶ月間、これまでの3年間のアフリカ・カメルーンでの活動を論文にまとめる時間を確保した.9月末にはフランス・グルノーブルに渡り,土建築国際センター・クラテールで発表する予定.とにかく何が何でも成果品としてまとめなければならない.現在,快調に飛ばしています.
2014.06.25 ヤウンデ
キャッサバ乾燥施設2棟およびキャッサバ圃場土のう垣の実施,そして事務所兼倉庫の設計をなんとか期限内で了することが出来た.あとは明日のチームリーダー・ミーティングにて成果報告をするのみ.そして帰国.キャッサバ乾燥施設は昨日午前中に完工したが,午後には村の女性たちがさっそくキャッサバを乾燥し始めた.これから末永く愛され続ける建築でありますよう、、、。
2014.04.06 成田空港
ここ1年ほどブログ更新が滞りがちである.プライベートの時間をほぼすべてカメルーンでの活動を題材とした論文に費やしているためである.この論文には手こずったがあと3ヶ月間で書き上げるめどが立った.その後3ヶ月ほどで仏訳・校閲し,9月末にフランス・グルノーブルのクラテールで発表する.今日カメルーンに向かう.今回は6月末までの3ヶ月の滞在となる.この3ヶ月でキャッサバ乾燥施設2棟,事務所兼倉庫1棟,キャッサバ圃場段々畑擁壁を仕上げる.中々にハードなスケジュールだが,乗り切るしかない.それでは皆様,6月にお会いしましょう.
2014.01.20 京都
新年早々仕事に使っているMACが故障、アフリカでもヨーロッパでもデータ復旧とハードディスク修理ができず、止むを得ず一時帰国している。業者によるとこれからさらに3週間ほどかかるとのこと。これでは一時帰国中に修理できない。何となれば、再度上京してYカメラからMACを回収し、MAC緊急復旧の業者に依頼することになる。今日は京都大学稲盛会館にて現在参加中のプロジェクト・メンバー間の勉強会に出席。各サブグループの活動進捗と成果、各活動の上位目標への収斂が少しずつ見えてきた。ところで、昨年末から体調不良や不本意な出費が続いている。現在滞在中の京都・中京区のウィークリーマンションの隣に偶然、「御金神社」という、その名の通りお金にご利益ある神社があるのを見つけ、今日、さすがに神頼みしてしまった。本年も佳い年でありますよう。
2013.08.03 カメルーン・ヤウンデ
先月上旬にカメルーン入りしてから早約1ヶ月が過ぎた。その間、土ブロックと土のうを使ったローコスト住居の設計、およびその自力建設のための施工マニュアル作りにかかりっきりであった。建築の設計のほうはほぼめどが立ったが、マニュアル作りには骨を折っている。全60ページほどのものをあと2週間で仕上げる。この先にも仕事が山積みとなっているが、とにかく目前の課題を一つずつ片付ける以外に道はないのである。ローコスト住居の図面とマニュアルは完成し次第、アップしたい。精進精進。
2013.07.06 パリ・シャルル・ドゴール空港 E2ターミナル
カメルーンに行くにはパリを経由しなければならない。旧宗主国の利権である。E2ターミナルは軽快な鉄骨シェルターが広大な無柱空間を覆っており、室内側には小口の木材天井が張られている。このような公共空間の内装に木材が使われていることに驚かされる。これはもしかしたら最近日本でも話題なっている「燃えない木」なのか?ともあれ、ヤウンデ便に乗れば夕方には現地到着である。
2013.07.05 大阪・関西新国際空港
カメルーンに向け出発である。今回は8ヶ月の滞在。少し長いが、やることはいっぱいに詰まっている。5年間のプロジェクトの中間評価を11月に控え、間違いなく一つの山場を迎えていると言える。特に私の任務はプロジェクト活動の拠点・インフラ整備という性質上、成果は前倒しに出していく必要があり、中間評価は私にとっては最終評価に等しいのだ。関空発。国際コンペで選ばれ実現したレンゾ・ピアノによるこの軽やかなシェルターとトラスは、数十年経った今でも伸びやかな姿を保っている。
2013.07.03 京都・桂
京大桂キャンパスのK研究室訪問。カメルーン出発前の準備をする。キャンパス内は授業中のためか人影はまばらでもの寂しい雰囲気。施設はセラミックタイル張の鉄筋コンクリート造の美しい建物群である。近くには桂離宮があり、このあたりには10年ほど前に一度訪れたことがある。桂離宮の回遊式日本庭園や数々の東屋のしつらえの見事さに感嘆したものだ。最近せっかく京都を訪れる機会に恵まているので、もう一度京の日本建築・庭園めぐりをしてみよう。
2013.07.02 東京・高田馬場
京都⇔東京間の日帰り出張。午前中より構造設計家のM氏と面談、インターロッキング土ブロックの構造形式の打ち合わせ。組積造の構造解析の考え方について指導いただく。おかげさまで今後やるべきことが相当明確になった。深謝。カメルーン行きまであと3日、準備は大詰めである。
2013.07.01 京都・吉田
京大アフリカ地域研究資料センターA研究室訪問。カメルーンFOSASプロジェクトの事務局がここにある。A教授と今後の同プロジェクトの進め方について協議、その中での私の役回りも確認された。研究室宛てに届いていた試験機器(シュミットハンマー、カサグランド)を検収、荷物に加えた。これから8ヶ月+αの期間の忙しさは想像を絶するものとなるだろう。今年11月のプロジェクト中間評価を控え、それまでに達成しておくべき数々のハードルが設定された。プロジェクトには複数の担当者がそれぞれの工程表をもって活動しているが、私にとってこの8ヶ月は間違いなく最大の山場であり、ラストスパートである。心してかかりたい。
2013.06.07 北九州・小倉
NHKの夜の番組に建築家の伊東豊雄氏が出演し、東北大震災後の建築界のあり方について語っていた。氏は「都市の建築はもう行き詰っているようだ。農村部での活動に今後の方向性を見出している。これから釜石で地域の伝統・生活を守りつつ安全性も確保できるような新しい町を、国内の建築家と共に作り出していきたい」といった内容のことを発言していた。震災直後の壊滅的な状況の中に大幅に出足が遅れた建築学会、個人の身勝手な行動さえ見受けられた建築業界など、建築界全体に対する社会の信用について伊東氏の切迫した危機感を感じた。私も自分の立場を明確にしたうえで、何ができるか考えていきたい。
2013.06.06 京都・舞鶴
ついに念願の舞鶴赤レンガ博物館を訪問した。建物は私の地元・門司の赤レンガ倉庫群に比べるとやや迫力に欠けるか。しかし展示物は充実していた。1階入口近くの古代文明のレンガ実物展示に始まり、大正~明治の日本のレンガ生産を支えたホフマン窯の模型、当時の生産の様子を伝える貴重な写真群、様々な切り口の展示手法などなど、興味は尽きない。何度も訪れたい博物館だ。残念なのは展示・収蔵品のカタログが販売されていないこと。展示パネルに実に大切な情報が含まれていて、これらを是非まとめて出版していただきたいものだ。
2013.05.31 北九州
一昨日、羽田~福岡空港~小倉の経路で、北九州に無事到着。時差ボケがひどい。カメルーンとは9時間の時差で、日本時間の午前中は当地の就寝時間にあたるので、夜眠れず、昼間に眠気が襲ってくる。早く慣れなければ。これから1ヶ月ほど日本に居て、ここでの活動の継続と次のカメルーン渡航(次は長期となる)の準備をする。カメルーンでは土の研究のためのミニ・ラボを作ることになっており、そのための情報収集や機材調達をする。その他、NGO活動のPR、プロポーザル、コンペなども同時並行で進める。土の建築勉強会も立ち上げる。少し欲張りすぎたか?
2013.05.27 カメルーン・チャン→ヤウンデ
昨日の日曜から1泊で首都ヤウンデから西北に600㎞の地方都市チャンに出張。チャン大学に依頼していた土質試験、土ブロックの一軸圧縮試験の進捗確認のためである。期待した成果がおおむね得られ満足である。本日正午に当地を発ち、夕方18時ころにはヤウンデに到着した。明日は再びヤウンデの南300㎞のエボロワ出張、キャッサバ加工場の検収を済ませ、その足で空港へ。今回の旅はこれで終わり。明後日には羽田-東京から新幹線に乗り、正午には小倉に着くはずだ。うまい焼酎が待っている。
2013.05.25 カメルーン・ヤウンデ
「僻地建築」なるフレーズが浮かんだ。「僻地医療」という言葉はあるが、「僻地建築」なる言葉(=概念)は存在しない。ここで思い浮かぶ「僻地」とは、日本の国内外を問わず、農村部、限界集落、離島、山間部、被災地等など、生活・社会・経済インフラが必要とされていながら予算・資材・人材の不足から思うに任せない地域群である。我々が扱っている土の土木建築技術、またはそれを核とした適正技術がもっとも力を発揮するのが、おそらくこのような僻地においてであろう。この「僻地建築」の実践には、都市建築の概念や技術体系とはボーダーレスの関係を保ちつつも一線を画す、そんな覚悟が求められる。
2013.05.22 カメルーン・ヤウンデ
ここ数日、これまで作ってきた土ブロック建築の広報用パワーポイントを作成中。本日中には仕上げる。今後アフリカで土ブロック建築を広めていくための重要なツールである。また、次回からの長期滞在に備え、単身者アパートを探している。ここで落ち着いて生活しながら、活動や研究に集中したい。一方、オフィス兼ミニ・ラボ+資材倉庫はカメルーン・サイドの農業開発研究所内に一つ部屋をもらうべく働きかける。うまく整うとよいが。
2013.05.19 カメルーン・ヤウンデ
一昨日の17日、ヤウンデの南約300kmのエボロワにて、竣工間近のキャッサバ簡易加工場の進捗確認を行う。当件にはこれまで一切関与してこなかったのだが、あまりに問題が多いので、専門家として技術面で一定の幕引きをするために、最後の検収部分のみお手伝いをすることになった。工事のクオリティーは論外で、丈夫な構造、漏電事故が発生しない、などといった最低限のセキュリティー確保という低いハードルしか設定のしようがない。
2013.05.16 パリ・シャルルドゴール空港
仕事がらこの空港はよく使うのだけど、来るたびにこの空港デザインを支える豊かなボキャブラリーに感心してしまう。確かこの空港のデザインは私の記憶が正しければ、フランス政府国交省の営繕課による設計だと思う。1980年代のグランパリ計画の時もそう思ったけど、フランスは本当に建築が好きなお国柄であるなぁ。ここからは全くの私見だが、この空港を通過してきた幾多の日本人建築家のデザインにも影響を与えたに違いない、と思わせるような表現がそこかしこに見られる。一般の日本人観光客もたくさん見ているのだから、デザイナーも安易なパクリは自重されたし。
2013.05.15 羽田
今は夜の10時、これから0時40分発のパリ便に乗る。夜中の便は関東在住の人にとっては仕事終わりに出発できるし、私のように九州から上京するものにとってもホテル代が浮いて便利。座席の広さと車体の豪華さだけが取り柄で、雪が降ったくらいで客の迷惑顧みずすぐに欠便する、あの忌々しい成田エクスプレスを使わなくてよいのが何より素晴らしい。(実際、何度も当日のドタンバ欠便を食らっているのだ)今回は2週間ほどのカメルーン出張。またあのむせかえるような蒸し暑さが私を待っている。さあ、テンションを上げないと病気になってしまうぞ。
2013.04.27 群馬・前橋
前橋工科大にて版築ワークショップを実施。午前中は版築の技術ガイダンスおよび土建築の実践例として私のカメルーンでの活動を一部紹介する座学、午後は実際に体を動かしての版築テストピース作りを2年生約50名の学生さんに指導した。土に水を加え、ちょうど良い湿り具合を探り、10cm各の型枠に入れて叩き締める。土を限界まで叩き締めると石のように固くなるのを皆で体感した。これから1ヶ月ほどで実際の小さな版築の小屋を試験施工する。初めは何もかもがチンプンカンプンだろうが、身をもって体験する時間とともに整理されてくるだろう。そうなると俄然面白くなってくる筈だ。今後もできる限りフォローしていきたい。
2013.04.23 京都
急な寒の戻りですこし肌寒い。タクシーの運転手さんに聞くと、先日の淡路地震の際、京都でも震度5程度の揺れがあり、京都タワーのガラスが割れたらしい。今日は14:00から京大アフ研にて今年度のカメルーンでの農業班の活動計画について会議。アンドム村にはフィールドステーションを作ったが、その他にもキャッサバ乾燥場、試験農場の段々畑造成などの農村インフラ整備が計画されている。明日は東京に移動、土建築の関係者に会うことになっている。
2013.04.11 北九州・門司
今週初めからカメルーン南部の地方都市エボロワに建設予定のフィールドステーション(調査基地)の設計、およびその施工マニュアルづくりに励んでいる。今回のものはすでに竣工した2つのフィールドステーションとは違い、思い切った小型化、施工単純化が図られている。これは地元住民への波及効果を狙ったものである。設計およびマニュアル作成が終わり次第、このサイトで公開したい。
2013.04.04 東京・高円寺
3月29日関空着で帰国して新大阪、京都、東京と移動、今後の仕事の打合せを重ねる。今月末には建築家・遠野未来氏が教鞭をとる前橋工科大で1日だけの特別講義を行なう。その打合せも行なった。土の建築の実践に必要な各種試験をワークショップ形式で伝える。これまでの私の仕事も少しばかり見てもらうことになろう。別件で、マンション改装の依頼を受ける。これは私の日本滞在期間や職人さんのスケジュールを調整する必要あるため、先行き不透明。明日北九州に帰る。7月初旬からは再度カメルーン入りし、それからは長期滞在となる。それまでの3ヶ月で実に多くの事を片付けておかなければならない。気を引き締めてかかろう。
2013.03.28 パリCDG空港
関空行きトランジット便の待ち時間が6時間ほどあるので、この時間を利用してブログを更新する。今回のカメルーン出張中に隣国中央アフリカで数日前クーデタが発生した。現在かかわっているプロジェクトの1サイトはこの国境近くに位置する。中央アフリカの大統領がカメルーン側に脱出したらしいので国境付近は警戒区域になる。プロジェクト進行の障害とならぬよう祈りたい。29日の午後に関空着。新大阪のホテルに数泊し京大関係者と面会、4月1日には東京で知人と約束。その後北九州へ。4〜5月頃からカメルーンへ長期滞在(1年程度)となる見込み。同地でいくつかの小建築の設計、施工指導を手がけることになる。いよいよカメルーンでのFOSASプロジェクト(http://www.fosas.africa.kyoto-u.ac.jp/)は今年で一つの山場を迎える。
2013.03.26 ヤウンデ
昨日はヤウンデの北西部の都市Dschang(チャン)に日帰り出張した。チャン大学に土の分析とブロックの圧縮強度試験をしてもらうためだ。これから始まるエボロワ(ヤウンデ南部の都市)での現場では同大の教授と土の建設技術を共有する。/今回の3週間の渡航では5〜10時間/日の移動を繰り返し、ヤウンデを中心にグリベ、アンドム、エボロワ、チャンと4つの地方都市、集落を訪問した。当初の目的はほぼ達成したが、唯一、エボロワ・ステーションの設計、施工マニュアル作成が完了していない。帰国後すぐにこれを完成させなければならない。/今日、ヤウンデを発ち29日には関空に到着する。それから上京して打合せ、その後に北九州へ。
2013.03.11 パリCDG空港 HOTEL IBIS ROISSYPOLE
またまたカメルーン入りである。今回の渡航は約3週間で、2つのフィールドステーションのアフターケア、小さめのフィールドステーション(3件目)の建設のためのサーベイと設計、および施工マニュアル作成、圃場テラス化のための土壌試験など、盛りだくさんのメニューをこなすことになる。3月頭から10日ほど日本にいたが、運転免許証期限切れの再発行手続き(事故・違反者、初心者扱いされるのだ)や、渡航のための身辺整理(行政手続きや調達など)で結構慌ただしい日々であった。しかし地元北九州の美味しい魚や焼酎はしっかり堪能してきました。
ところでこれからは基本,写真抜きでもブログを書こうと思う。というのも,写真をいつもアップロードできる環境に居るわけではないし,写真があるとそれに縛られ,内容や表現の巾がつい狭くなってしまうから。
2013.02.26 グルノーブル
いよいよ最終夜、友人たちがささやかながら送別会を開いてくれた。チリ人の建築家夫婦はこれからチリに戻るか、隣国ペルーで仕事するか、はたまたマルセイユでの研修に参加するか、将来の選択に直面している。スペイン人の建築家とコメディアンのカップルは、当面はフランスに留まって土のアートの研究を続けるという。土の建築の研究や実践は世界的にもまだ始まったばかり、やるべきことは山ほどある。彼らはまだまだ裕福とは言えない研究者、建築家、アーティストの卵達だが、瞳は確かに輝いていた。
2013.02.25 グルノーブル
明日一夜限りでアパートを引払う。結局アフリカの滞在が長引いたので、ここには正味数ヶ月しか居なかったが、それでもフランスの暮らしや社会を垣間みる事はできた。それにしてもエレベーターなしの5階建て最上階で生活するのは厳しかった。特に入居日の荷運びは地獄だった。そういえば夜中に隣の建物から響いてくる、大音量ベース音のヒップホップ・ミュージックにも辟易したものだ。とにかくあまり快適とはいえなかったフランスでの生活をやっと卒業できる。
2013.02.24 グルノーブル
3日後の27日にはアパートを引払って帰国する。水道、電気、ガス、住宅保険、インターネット通信などの解約をするため、町中を歩き回る。荷物も箱詰めにし送り出した。グルノーブル建築大学にはこれからもたびたび訪れることにはなるが、長期滞在はこれで一区切り。4月からは東京の高円寺に本拠地を構えることとなる。
2012.09.30 グルノーブル
10月4日から2週間程、一時帰国する。その後はまたカメルーン入りし、終わっていないもう一つの現場(グリベ)を監理する。12月中旬にはこちらも完工に漕ぎ着ける。残っている工事は開口部の建具、厨房・シャワー室など水廻りブロック、家具、電気工事他。併せて落成済みのアンドムのステーションのわずかな残工事も片付ける。現場の研究者の方々を本当に長い間お待たせしてしまった。気を引き締めて完成に漕ぎ着けたい。
2012.08.29 アンドム
2つのフィールド・ステーションのうちの一つ、アンドム・ステーションが先月29日無事落成した。この建築は森林保全と住民生計の両立をテーマとするプロジェクトの拠点として設計されているが、同時に熱帯雨林地帯の住居の新しいプロトタイプとしても構想されている。そのコンセプトは、「森の土と木を使って、住民自身が建てる、光と風に満ちた空間」である。今後、このプロトタイプの普及活動を、住民たちのBOPビジネス起業と両立しながら推進していく。
2012.08.20 グリベ
森林の奥部に位置するグリベの現場。なかなか思うように進まない。私がアンドムのほうに現場監理で出かけ、グリベを不在にするとたんに彼らは怠け始める。私は自己都合でいったん現場を10月中旬まで不在にするが、その間の生産性低下はあらかじめ織り込んでおく必要がある。(もちろん不在期間の仕事は指示してあるのだが、、、。)
2012.06.06 カメルーン アンドム村
ようやくブロック積みに入った。今回のブロックは現場の土に微量のセメントを加えコロンビア製の廉価なプレス機で圧縮して作った。生産開始は昨年の9月からなので9ケ月出番をずっと待っていたわけだ。このブロックはインターロッキング・タイプ、つまりレゴブロックのようなもの。現場の土を主原料にしていること、焼かないで作っていること、目地にセメントのモルタルを使用しないことから、環境負荷が相当軽減される。さあ、これからいよいよ本当の追い込みだ!
2012.05.25 カメルーン
一時帰国からカメルーン入りして1ヶ月。2つのフィールド・ステーション建設工事は大幅に遅れ、竣工予定日からすでに2ヶ月が過ぎてもまだ終わっていない。これにはいろんな要因が絡み合っている。現場作業員の緊張感の欠如、遠隔地での現場監理の困難さ、資機材調達の困難さ、など等。これらを乗り越え来月中には完成にこぎつけたい。現況写真をUPする。(安田)
2012.04.21 東京・高円寺
現在在籍しているフランスの土建築研究所クラテールで今年も5月30日から「土のフェスティバル」が開催される。毎年建築家の丸山欣也先生が参加され、現地の学生たちと土を使ったインスタレーションを作っているが、今年は日本の左官職人の方々を連れ、この祭典に参加される模様。詳しくはNPO有形デザイン機構HPを参照されたし。(安田)
2012.04.10 東京
4月13〜15日開催の「大江戸左官祭り」参加のため一時帰国した。2週間ほど国内にいてすぐカメルーンにとんぼ返りする。工事が遅れに遅れているのでのんびりできない。明日、同イベントの仕掛人Tさんと座談会について打合せの予定。昨日の成田ー新宿西口間のリムジンバスの中から、皇居周辺の見事な桜を見た。ながく欧州、アフリカに居たことや、満開のタイミングにぴったり合ったためであろう、桜が日本人にとって格別の花であることがよく分かる。(安田)
2012.04.01 アンドム
グリベよりやや遅れている。こちらのほうがグリベよりやや難しいのだ。グリベが単純な細長い一体型のフォルムをもつのに対し、アンドムのほうは分棟(2棟)式のうえ、3段階の高低差が存在する。現在、基礎工事を終え木部構造体の立ち上げに入っている。通常ならば壁のあとに屋根の順序だが、ここでは逆に屋根工事に先にかかり、そのあとに土ブロックを建て込む。つまり日本の木造建築のような工程をとった。こうすれば雨が降っても屋根の下で工事を続けられるのだ。ここは熱帯雨林であり今は雨期の入り口にある。(安田)
2012.03.27 グリベ
同時進行している2つの現場(グリベ、アンドム)のうちの一つ、グリベ村の京大フィールド・ステーション。アンドム村よりもやや先行気味である。同じ建設システムを採用しているが、使用される材料、自力建設する住民グループの性質は各々異なる。グリベは森林のまっただ中に立地し、ピグミー族がマジョリティーのため、多様な自然素材(丸太、竹、籐、ラフィア椰子など)、素朴なディテールが特徴的。(安田)
2011.11.26 グリベでの圧縮土ブロック製作ワークショップ
グリベの村人約30人に対し、圧縮土ブロックの作り方のワークショップを行なった。講師はもう一つのフィールドステーション建設中のアンドム村から招聘した2人の現場作業員と私。この2人はアンドムでのブロック生産に際し我々京大チームが指導し、7000個のブロック生産を経て、講師を務められるほどに成長した。圧縮土ブロック生産工程には大きく分けて3つのプロセスがある。まずは材料の調合。次にプレス機を使った製造、最後にそのストックである。どのプロセスも同様に重要である。指導しながら改めて思ったのは、圧縮土ブロック製作はうどんを打つ要領に実によく似ているということである。小麦粉が乾いた状態で撹拌、塩水を少しずつ全体に廻しなじませる。程よい湿り気になったところで全体重をかけ捏ね、踏み込む。うまいうどんが小麦粉中のグルテンと塩の結びつきに左右されるのと同様に、よい圧縮土ブロックは粘土と微量のセメントによる安定化が左右する。良質の粘土(カオリナイト)を多く含んだアフリカのラテライトは圧縮土ブロックの原料としては実に素晴らしい粘りとコシをもっているのである。(安田)
2011.11.22 グリベに向け再出発
宿泊地ベルトアにてグリベで使う資機材、およびアンドムーグリベ区間往復に十分な燃料を積み込みベルトアを再出発。本日の経路はベルトア→アンドム→アボンバン→ロミエ(宿泊地)。アボンバンにて美しいラフィア椰子の森を撮影、そして遅めの昼食。バス発着場内の屋台にてブッシュ・ミートの食事。(本当は禁止されている。)あまりのグロテスクさに食欲をなくす。ビスケットと水を購入、昼食とする。轍を三菱のピックアップで走る。荷台にはブロック・プレス機、燃料100L、セメント等を積んでいるので車体が重い。途中、粉塵をまき散らしながら猛スピードですれ違う木材運搬車、仲間達を遊びながら突然道を横断する子供達をクリアしながら、ようやく夕刻18時、ロミエのホテル・ラフィアに到着。グリベには翌朝7時発で12時頃着であろう。夕食は部屋にてパスタを茹で食す。疲れていたので9時に就寝。(安田)
2011.11.23 グリベへ
ロミエを8時半発、グリベに14時半着(6時間行程)。村長に挨拶したあとサイトへ向かう。草は思った程伸びていない。整地が一部進められている。
2011.11.21 アンドム→グリベ移動
アンドム現地作業員2人を連れ、同時進行中の別サイト、グリベに向かうも、途中の給油地点のガソリンスタンドにて燃料が底をついていることが判明。この先を続けると燃料切れで森の中から帰還できなくなる恐れがある事がら、急遽、アンドムへ引き返し、近くの比較的大きな町ベルトアにて給油し再出発することとした。8時間のロス。(安田)
2011.11.20 アンドム
・午前中:草刈り終了。地均しに入る。並行して私は数人の作業員と共にサイトの敷地境界杭、地縄張り、樹木の位置測量を行なった。高低差についてはレベル測量器が必要なので、近隣の町まで機材と測量士を探しにいかねばならない。こんなことならレベル測量器を自前で入手しておくべきであった。
・午後:町で測量士と機器を見つけ、サイトの高低差測量。最大高低差1.7m程。設計済みの配置図と見比べ、切土をするエリアとレベルを指示、可能な限りサイトの高低差はそのまま活かしていきたい。もちろんゲニウス・ロキの尊重とコストを抑えるためである。(安田)
2011.11.19 現地作業員賃金について
作業員メンバー達から作業賃が安すぎる旨のクレームあり。本プロジェクトでは同国の市場相場から軽作業1,500FCFA/日(朝8時〜12時/13時〜15時 7時間労働)としていたが、今回の整地からは建設工事の本作業となり、プロジェクト内規により単価を2,500FCFA/日とする旨伝えると、彼らは一様に大喜びの様子であった。(安田)
2011.11.18 子供達とブロック
ブロック生産の現場には子供達が遊びにやってくる。大人達がつくったブロックをつかって自分たちの秘密基地を作る。私たちの世代も子供の頃、よく秘密基地を作ったものだ。但し材料はブロックなどではなく、コンクリート製下水管や茅の茂みの中で茎を結わえて作ったりした。この小屋はブロックが子供達でも扱える素材であることを示している。(安田)
2011.11.18 アンドム
前回の出張から約1.5ヶ月開けて再びのアンドム入り。サイトは前回草刈りをしてきれいになっていたが、この約1.5ヶ月で元のブッシュが回復していた。この地での敷地内メンテナンスは大変そうだ。これから3ヶ月かけて京都大学フィールド・ステーションを建設することになる。ブロック7000個の生産は了している。次は整地、水盛り遣り方、基礎工事にはいる。コンセプトは4点。①現地住民による自力建設支援、②現地材料(土、木、椰子、竹、石、植物、その他森の知恵)の活用、③ローコスト建築、④工期短縮、である。さてその成果は3ヶ月後。(安田)
2011.11,17 アンドム
朝9時、アンドムに向け出発、19時着。現場監理員のDieudonné、京大チームのセネガル人留学生PAPAと会う。しばし談笑の後、ベルトアのホテ ル・クリスティアーナに移動。一泊15,000FCFA也。夜は部屋でパスタを茹でて食す。シャワーの湯がふんだんに出るのが助かる。(安田)
2011.11.16 出張準備
朝9時、JICA事務所M所長から安全対策ブリーフィングを受ける。夜歩きの自粛、危険ゾーンマップ、住居セキュリティ等一般的内容に加え、国境周辺、北 部への立入禁止を指導される。午後は翌日のアンドム出張のための準備調達に当てられる。マラリア予防薬、下着、食料など。ついでにPC周辺機器の価格調 査。A3プリンターが180,000FCFA(約3万円)也。手頃な値段である。(安田)
2011.11.15 再びカメルーン
LX274便チューリッヒ、ドゥアラ経由ヤウンデ着21時頃。空港にて業務調整員のS氏の出迎え。いつもの明るい笑顔。ホテルはMEUMI HOTEL 482号室に逗留。(安田)
2011.09.24 グルノーブル
・一昨日の9月22日にようやくカメルーンから帰還。次のカメルーン入りは11月初旬。それまでの1ヶ月余の期間でプロジェクト調査団の2つ(森林班/農業班)のフィールド・ステーション建設のための実施設計を終えなければならない。併せて、現在留学中のグルノーブル建築大学・土建築研究所クラテルに提出するフィールド・レポートも作成する。因みに現在参加しているJST-JICA森林/サバンナ持続性プロジェクトは、ここクラテルにおいては私のフィールド・ワークとして捉えられている。また、このレポートをもとに更に研究を続け、1年後に研究論文(メモワール)として提出されることになる。
・現在クラテルのフィールドワークの一環として、中国で版築建築の集落調査、および土分析ラボの立上げに奔走しているMとJから連絡入る。いつ中国に来るのか?という内容。かれらが中国に発つ前、(と同時に私がカメルーンに発つ前)、一緒に仕事ができるといいね、と語り合っていた仲間である。その時は、10月頃カメルーンから帰ってくるから中旬には行けるだろうと話していたのだが、カメルーンでのプロジェクトに追い立てられている今、どうも難しそうだ。彼らは6カ月間(来年の2月まで)中国にいるはずだから、その間に行ければ良しとしよう。
・グルノーブルの自宅にてインターネット接続を試みたら、カメルーン渡航前には繋がっていたUSBキーによる3Gネットが使えなくなっている。フランスの通信インフラはとても脆弱で、ケーブル敷設には時間も費用もかかるし、プロバイダー間の互換性もない。これまでOrange、SFRといったプロバイダーと契約してきたが、安定して機能してるのはi-phoneのみ。本当にフランスのサービス業の実態はひどいものだ。(エア・フランスしかり、行政部門しかり。) (安田)
2011.09.11 カメルーン首都・ヤウンデのMEUMIホテルにて
•9月1日からホテルに缶詰になり、グリベ村、アンドム村の2つの調査拠点の基本設計を行っている。2つ併せて2週間ほどで大まかな計画案を示さなければならない。敷地確定前に条件を想定して進めていた熱帯雨林建築のプロトタイプから大幅に変更されることになる。当然である。敷地が確定されていないということは、方位(したがって太陽運行)、卓越風の方向、雨量、植生、近隣集落の様子、等のコンテクスト読み取りの手がかりが一切ない、ということである。約2週間かけて行った2つの村での調査によって諸条件が出そろった今、ようやく集中して計画案を練ることができる。あと数日で日本で待つ調査団関係者に送信。(安田)
2011.08.29 カメルーン・ンゴクサ村にて
•現地で活動する青年海外協力隊員(村落開発普及員)の近藤さんの依頼を請け首都ヤウンデから西に60km程の小さな村ンゴクサで展開される、NGO道普請人の木村亮理事長(京大教授)の活動に参加した。サイトは雨が降るとぬかるみ、農産物や生活物資の輸送がブロックされてしまう坂道約20m。今回は作業時間が1日(午前中のみ)しかとれないため、約10m程の区画に限定して、土のうによる道直しの技術移転を行った。住民の参加者は約40名。作業を続ける程に各自上達していくのが見える。最後には木村教授から土のう普及技術者の認定証書が授与され、皆で記念撮影。(安田)
2011年08月27日 カメルーン・グリベ村にて
•本日の活動、午前中は伐採会社の切り開いた通称「伐採道路」沿いに鎖状に住戸が連続する集落全体のワイドビュー撮影、地図スケッチ作成、および拠点建設サイトの実測。午後は製材所訪問するも土曜日につき入れず。夕方からラフィア椰子の自生場所視察。
•ラフィア椰子はアジア、アフリカの熱帯雨林湿地に自生する椰子で、その葉は住宅の屋根葺き材として、茎は竹によく似て、工芸品、家具から住宅壁下地まで実に用途の広い、強度、耐久性ともに優れた材料である。今回の調査拠点建設にはこのラフィアを建築本体、家具にと積極的に使用しようと考えている。(安田)
2011.08.25 カメルーン・グリベ村にて
•カメルーン入りして2度目のグリベ村訪問。首都ヤウンデから四駆にて2日がかりの行程。森林/サバンナ持続性プロジェクトの調査拠点建設用地の確定について、同国国内法上の問題が浮上。同国法律上は国土所有権は国家に属する一方、現地レベルにおいては村長をトップとする慣習法が生きており、用地確定のためには両者の承認を要することが判明。調査団長が早速、土地の使用許可申請を行い受理される。かかる手続きは早期に処理されておくべきことであるが、ここは慣れない途上国での事業につき仕方ないかもしれない。とは言え土地の選定からプロジェクトに関われることは建築家としては望外なことであるので、この状況を楽しむ所存。
•同日夕方からサイトに生け垣用の植林をする。ハイビスカスに似たきれいな花を咲かせる低木(名前は不明)を接道側全面に植える。事実上の工事開始である。
2011.08.22 ヤウンデIRADにてキックオフ・ミーティング
2011.08.21 アボンバン
朝8時にミンドゥルーのホテルをチェックアウトし、隣町アボンバンまで移動。ここで朝食をとる。さすがにヤウンデに近づき町の中心街には建材店を見ることができた。早速、工業製品の調達状況を調べるため、写真撮影。店員にいろいろ質問した。ところがこれを目ざとく見つけた私服警官が近づいてき、この写真撮影についてイチャモンをつけてきた。その後町はずれの警察署に連れて行かれ、やはり袖の下を要求。結局10,000CFA(日本円で2,000円位)でカタをつけ、さっさとこの町を離れる。ここから首都ヤウンデまではアスファルト舗装の国道が開けている。
11時頃ヤウンデのホテル・メウミに到着、482号室にチェックイン。最上階でインターネットが通じる。しかし最上階につき天井からの輻射熱で室内は暑い。エアコンもあまり効かない。失敗した。その後、業務調整員のSさん宅にお邪魔。明日のキックオフミーティング打合せ、および食事会。久しぶりの日本食に舌鼓を打つ。
夕食は近くの地元レストランでのカメルーン料理店。カメルーン通いが長いI先生による現地料理講座が楽しい。メンバーは前日到着したばかりのI先生、K先生、Hさん、Aさん、Fさん、JST調査員のOさん、そして私の7名。(安田)
2011.08.20 ヨカドゥマまであと2.5時間の町ミンドゥルーにて
あす21日の午前中までにヤウンデまで戻らないといけない。昨日すでに同地に到着しているI教授、K教授等との打合せのためである。ヤウンデではFRP波板、鉄筋など工業製品の調達状況調査の必要あり。調査資材リスト作成を急ぐ。また、計画案の練り直しの必要あり。
1)ダブル・ルーフのアイデアを見直し。室内採光と工法単純化のためである。屋根からの輻射熱対策と しては天井高を上げること、また、断熱と雨音消音を兼ね、波板の下地にラフィアの葉を敷き詰める。
2)裏面の廊下を削除し、片廊下とベランダ空間を兼ねる。
3) 3ブロックあった建物を2ブロックとする。(全体ボリュームの圧縮)
4)厨房、浴室、トイレなどの水回り棟は出来るだけ通気性のよいスケルトン構造とする。
ホテルでは運悪く土曜の結婚式に当たってしまった。夜3時までのどんちゃん騒ぎに辟易するも、疲労のため爆睡。夕食はナマズのトマト煮込み+白米、美味であった。(安田)
2011.08.19 グリベの隣町
19日夜はグリベの隣町にて民家の一室にテントを張る。民家といってもあちこち隙間だらけの工事中のような家で、これではハマダラ蚊の格好の餌食となるのが目に見えている。という訳で室内でもテントを張ることにした。夕食の招待があると期待しつつテント内で資料整理しながら待っていたが、とうとう声はかからず。同行の植物学者と運転手は隣町に出かけたようすだったので、しかたなく鞄に潜ませていたビスケットとミネラルウォーターで飢えをしのぐ。(安田)
2011.08.18 グリベ村にて
18夜はグリベ泊、村長に挨拶。寡黙である。こちらの様子をじっと窺っている様子。夜は村長宅に夕食の招待。鳥の煮込みとクスクスのフーフー。暗闇の中、砂混じりのフーフーがジャリジャリと奥歯に当たる。噛まずに飲み込む。その夜は村の集会所の上屋の下にテントを張り、就寝。村の中心部のバーでは大音響でテクノ・ダンス•ミュージックを鳴らしていて寝付けない。(安田)
2011.08.17 ヨカドゥマにて
ロミエ発(8:50)~ヨカドゥマ着(13:00)。出発前のホテル・ラフィアでHさんよりンドンゴ村のフィールドステーションについて情報入手。
移動中、ロミエから4kmのSISSOHシソーの村に立ち寄り、畑および村の取材。狩猟採集民が農耕を始めたか?アメリカの伐採企業傘下の企業が周辺住民への免罪符として野菜の種の配布、栽培を指導を始め奏功した模様。
移動の車中にてTさんから情報収集
気付いた点
① 伝統的荒壁土+ラフィア葺き
② 伝統的荒壁土+亜鉛波板葺き
③ 木舞スケルトン壁+ラフィア葺き(集会所)
④ 日干しレンガ+亜鉛波板葺き(上屋先行建設)
⑤ RCペンキ塗壁+亜鉛波板葺き(カルティエの教会、公民館)
⑥ 製材大幅板張+亜鉛波板葺き(製材所近隣住居)
⑦ 製材小幅板下見張+亜鉛波板葺き(製材所近隣住居)
⑧ ドイツ・コロニアル・スタイル:焼煉瓦造+焼き瓦葺き(カトリック教会)
ヨカドゥマ着後の挨拶回り
① Commisariat(地方警察)※身分証登録。
② M.des fôréts et de la faume(森林省)
③ CEFAID Organisme de développement et d’appui à l’autopromotion(NGO開発と自立支援)
④ Gendarmerie(官警察)
⑤ WWP(自然保護団体)
⑥ Préfet(県知事)
⑦ Sous-Préfet(郡知事)
⑧ Maire(市長)
本日会えたのは③、⑧のみ。殆ど翌日に延期。⑧市長面談において翌日のグリベ村での調査拠点敷地について予定調整。Conseil regionalのGeorge議員が翌日午後グリベの敷地選定に立ち会うことになる。
Tさんにより情報共有あり。
拠点敷地選定のポイントは、一つの集落におけるバンツー系/ピグミー系の分布関係から建
設地を割り出すこと。集落中心部はバンツー系住民の居住空間。ピグミーは線上集落の両端
部にいくに従って増える。よって集落に置いて両端部のどちらか一方、という選定の仕方とな
る。 かつ、伐採道路から奥へやや引っ込んだ、目立たない位置とする。 あるいはバンツーの
多いグリベではなく、ピグミーがやや多くなるマレーアancienまでの別集落で考えてもよい。森
林班拠点の敷地はグリベ(バンツー:ピグミー=7:3)~ソーンancien(6:4~5:5)~マレーア
ancien(6:4、日本人研究者あり)の間で決めればよいとのこと。(安田)
2011.08.16 ロミエにて
・A先生と近くの屋台にて朝食。キンシャサと同じパスタ入りオムレツ、パン、砂糖入りカフェオレ。帰る道すがら、ラテライトとその活用について教授頂く。
・午前中、基盤整備。両替:1,500 $=440,025 CFA。薬局へマラリア治療・予防薬マラロンを購入に行くも一箱10,000CFAと高価なため在庫なし。現地民愛用のコアルテムなら2500CFAと安価。ケータイ電話準備。フランスで買ったノキアをブロック解除、5000CFA。SIMチップ1000CFA。
・ホテル・ラフィアにて夕食会。神戸学院大学某教授、北大Y教授(保健))、その他京大院生Hさん、Oさん他、総勢11名。すべてピグミー研究者。学習能力、保健、心理学、子供の行動など多分野に亘る。。京大Hさんはンドンゴ゙村フィールドステーション建設の元担当者。その中の一人のT先生から、建築に使える自然素材についてアドバイスあり。「クズウコン科の葉っぱは住民が傘代わりにつかっている。ピグミーのテントにも使われており、これが一方向には簡単に裂けるが、繊維方向には非常に強く丈夫な素材。この繊維を使えるのでは?」。早速検討することにした。(安田)
2011.08.15 ヤウンデに到着
・19時50分(ヤウンデ現地時間/フランスと時差一時間)、ヤウンデ空港着。約6時間の飛行。途中、5時間目あたりでかなり揺れる。ヤウンデ空港到着。新しく小奇麗な建物に驚く。キンシャサと比べ 雲泥の差。パスポートチェックも手際良い。これもついキンシャサと比べてしまう。業務調整員のS氏、森林班のTさんが出迎え。少し肌寒いくらいの涼しさ。
Tさんと車中で談話。以下、得られた情報。
(建設予定の)フィールド・ステーションの敷地選定は非常にデリケート。バンツー/ピグミーの居留
地の中間地点でどちらにも偏らない配置、用途であることが必須。この建物、プロジェクト全体紛争
の種になるようなことは絶対に避けられなければならない。(コンゴ民、難民/地元民の対立と似てい
る。国際機関はピグミー等少数民族贔屓で多くのプロジェクトを行っており、地元民がへそを曲げてい
る。
•5年後の譲渡時の調整がもっとも難しい。両者が共同で運営する形が理想的だが容易でない。なぜ
ならこれまでに両者間にパトロン/サーバントの上下関係が成立している。(ピグミーはバンツーのこ
とを義理の父、兄と呼ぶこともある。)例えば作物の収穫はピグミー、製品化や監理はバンツー。給与
についても同じ作業内容でバンツー1,000CFA/日、ピグミー500CFA/日という格差があり、これまで
の慣例になっている。上下関係がある両者が共同で何らかの活動を展開する場として、5年後の拠点
活用法を提案しなければならない。イメージとしては両者共通の問題であるNTFPの加工所。(ピグミ
ーからは学校にしてほしいとの要望あるが、かかる一方にのみ裨益する用途は適当でない。ここが
難しい。)
・この森林班の拠点に対する要望を察するに、1)早く2)安く3)目立たない、ということ。3)については
バンツー/ピグミー間のPNC(平和構築)的視点からと理解。具体的には道から森に入った、樹木の
下にあって目立たず、雨、日差し、民衆の好奇の目を避けること。Tさんとしては「長く使ってもらえ
る、良いものを作ってほしい。その方が面白い」とのこと。 安田から自然素材の安定剤の使用を提
案。例)樹木繊維のほぐしたもの、蜜蝋、を使った土壁。Tさんからは、和紙を漉ける繊維あり、とのこ
と(バナナの葉)。そのほかピグミーは編み物得意(葉の 籠、ござ、他)。Tさんからサジェスチョンあ
り。バンツーによる工事のほうが早く確実。工事区分を分けた方がよい。現代材料を使用した躯体部
分の工事=バンツー、建物を包む外皮としてのすだれやゴザ等の編み物類=ピグミー、という区分を
考案した。
・ホテルMEUMIに9時ころ到着。A先生の出迎えを受ける。歩いて5分くらいのレストランにてメンバー
と夕食。スモーク・チキンのマニョック・ソースとフレンチフライ。カメルーン国産の黒ビール「ギネス」
試飲。共にかなりいける。A先生から、エボロワの土地取得、乾期1~2月頃に農業班の拠点建築の
打合せ(森林班とは違うデザインを求められている様子)の申し入れあり。会食中に得られた情報
は下記の通り
「アフリカのラテライトは深さ2mまで粘土層。そこからは鉄分の多い礫の層。」(これはモロッコのウカ
イムデン~マラケシュあたりのイメージか?)
「 ソーラーパネル調達状況について。タテ500×横1000程度のドイツ製パネル4枚+カーバッテリー2
台で、3部屋(コンピューター+照明)が5~6時間維持できる。これが1ユニットとなっており、これを
グ リベ村で1セット、ベルトワのアンドム村で1セット調達予定。予算は建築とは別途。エボロワは電気
あり。バッテリーのみでOK。(ソーラーパネル不要)」
「ヤウンデから東部への移動は伐採道路のみ使用するしかない(公道ではないので、当方に優先権
なく危険) 。伐採道路の両側に集落あり、子供が横切る。年間に数人の子供が亡くなっており、問題
になっている。去年からようやく村の中30km/hの速度制限が始まった。ロミエ~グリベ村近くに落ち
た橋あり。極めて危険。運転手知らないと大事故になる。」
・明日午前中は圧縮土ブロック用プレス機(コロンビア製)、銀行両替、薬局にてマラリア予防薬購
入、地元警察届出、携帯SIMチップ購入。午後に東部出張。 (安田)
2010.12.28 カスバ街道(ワルザザット⇔ラシディア間)
約15年ぶりにカスバ街道のバスの旅をした。5時間の旅程である。旧友に会うため、モロッコ南部の第一の町ワルザザットから東に300㎞ほど行ったところにあるラシディアという地方都市を目指した。もともとこの土地は「シジルマサ」と呼ばれ、現王族アラウィ家の出身地であると共に、中世においてはラクダで砂漠を横断する隊商ルートの要衝の一つであった。今はそのシジルマサも見る影はないが、地元の人々の中には、往年のシジルマサの遺構を特定できるものもいるという。中世の隊商都市ネットワークはユーラシアからアフリカにかけて広がっていたが、サハラ縦断ルートはここラシディア(旧シジルマサ)から、西アフリカ世界(ガーナ王国、マリ帝国、ソンガイ帝国)にまで達していた。キャラバンはここを通って地中海世界の岩塩を南に運び、西アフリカ世界の金に積み替えて再び北上した。(安田)
2010.12.24 モロッコ、ワルザザットにて
モロッコ南部サハラ砂漠の入り口の町、ワルザザットにいる。ここは14年前、青年海外協力隊員として派遣されて以来、3年に一度くらいは訪れる私の第二の故郷である。ここには「タウリルトのカスバ」という素晴らしく保存状態の良いカスバ(城塞)があり、これが1992年ユネスコの資金で修復され、中にモロッコ文化省所轄の文化財保存修復センター(CERKAS)が設立された。ここに私は派遣され、3年間、周辺の文化財の保存状態調査と目録化、そして保存修復プロジェクト実施といった活動をしてきた。今回、旧職場に何も知らせず立ち寄ったところ、偶然「タウリルトのカスバ」の修復現場に立ち会うことが出来た。古い版築の壁を撤去し、新たに版築および日干レンガ積の壁を立上げ、オンデュイと言われる藁を混ぜた土で塗り上げて仕上げている。この技法はこの土地に連綿と生き続けてきたものであるが、ここ最近、鉄筋コンクリート建築の隆盛で、徐々に姿を消しつつある。また、このカスバ周辺には古い土の集落が残っていたのだが、ここにも観光産業の波が押し寄せ、ヨーロッパの投資家たちが集落を虫食い状に買い漁っている。元は住居であった内部はホテルに改装され、ヨーロッパからの客目当てに営業されている。その結果、多くの住民は現金欲しさに土の家を手放し、コンクリート造の新興住宅地に移転していく。旧集落には15年前は350家族ほどが住んでいたところ、現在では150家族ほどにまで激減しているという。これではいずれ「文化財の抜け殻」となってしまう日もそう遠くないであろう。文化財保存と観光産業振興の相克は古くて新しい問題であり続けている。(安田)
2010.11.18 クラテル本「土構造物総論」
本書は1979年来のCRATerreの活動の集大成ともいうべき、いわば「土の建築の百科事典」である。本編前半は主に建築材料としての土についての基礎的な解説、後半は応用編として様々な施工法、生産体制、架構法等が具体的・実践的に述べられている。極めて体系的、包括的な内容をもつ名著なのだが、残念ながらこれまで仏語版しか存在していなかった。今般、ドイツ・カッセル大学ゲルノート・ミンケ教授による著作の日本語版「土・建築・環境-エコ時代の再発見」がこの6月に出版されたばかりであるが、このクラテル本も現在、英語、ドイツ語、ロシア語への翻訳作業に入っているとのこと。ミンケ本の場合と同様、いったん英語版ができてしまえば日本語版の出版も近い。クラテル本とミンケ本、フランスとドイツからのこの2冊がこれからの日本の土の建築におけるバイブルとなることは間違いないだろう。(安田)
2010.11.17 DSAコースについて
CRAterre-ENSAG(グルノーブル国立建築大学・土構造物研究所クラテル、以下CRAterre)にてDSA(Diplôme de Spécialisation et d'Approfondissement)というコースに2年間所属している。このコースは、クラテル がユネスコからの委託を受け実施してる、土の建築の専門家養成のためのポスト・マスター課程である(通常ドクター・コースが3年間のところ、DSAは2年間)。DSAが通常のドクター・コースと異なる面白い点は、まず、世界中で強く求められている即戦力の土の建築の専門家を出来るだけ早く現場に送り出すため、非常に実践的かつ圧縮されたプログラムが用意されていることである。はじめの半年は土の建築に関する理論と実技の集中的インプットに割かれ、残りの1年半はクラテルが進めるプロジェクトへの参加、各自が興味をもつ国際機関等のプロジェクトへの参加、クラテル内のラボでの研究開発など、各自のテーマに沿ったフィールドワーク、実験;、研究開発とそれらに関する論文執筆に充てられる。そして2年後にはこのクラテルを中心とした土の建築の実施機関ネットワーク(NGO、国連機関等)に組み入れられ、緊密な連携関係が維持されることになる。DSA募集は2年毎で定員は20名程度。うち半数がフランス人、半数が外国人である。(安田)
2010.11.16 研究コース初日
本日がDSAコース(アメリカでいうところのMBAに近い、2年間のポスト・マスター課程)の初日である。午前中は本コースの3本柱、建築材料学、人間居住、文化財保存について各担当の教授が概要のプレゼンを行う。ユベール・ギヨー主任教授、ティエリー・ジェフロワ教授(文化財保存)、フィリップ・ガルニエ教授(人間居住)、ローマン・アンジェ教授(建築材料学)の各氏がパワーポイントで各分野の歴史的経緯、現在のトレンド、今後の課題等について紹介。午後には各参加者サイドからの自己紹介、実務経験、関心事等についてプレゼンテーション。日程終了後には課外で仏領マイヨット島でのBTC(圧縮土ブロック)による社会住宅建設事業についてのプレゼンテーションが行われ、満員御礼の盛況であった。(安田)
2010.11.14 アルプスを臨んで
朝8時、ホテル前の大通りから西側の眺望。いきなりアルプス山脈の一部が顔をのぞかせる。山脈で囲まれたグルノーブル市内および郊外エリアの人口を合わせると約56万人、私の故郷、北九州市の約半分程度である。標高は200~450mとやや高い。空気が透き通っている。大きく、深く、呼吸した。(安田)
2010.11.13 モロッコ料理店にて
ホテルのすぐ近くにモロッコ料理店を見つけた。モロッコとは、15年程前、青年海外協力隊員として派遣されてから何かと縁がある。グルノーブルに着いてからも、なぜか気安く声をかけるのはマグレブ出身のケバブ屋(焼き肉サンド屋)の兄ちゃんだったりする。ミントティーを頼み、久しぶりの味にホッとする。もうモロッコが第二の故郷となってしまっているのを体で感じとることができる。ところでこれまで探していた住居も、モロッコ人、フランス人と私の3人で共同で借りることになった。さて、これからの3外国人の共同生活はいかなるものになるか?(安田)
2010.11.12 旧市街にて
町の核には旧市街があり、にぎわいの中心をなしている。ヨーロッパの町はだいたいこういった構成をもっていて、中世の城塞で囲まれた都市を遺された遺構から想像することができる。写真の建物は中央市場、しかし今日は生憎閉まっていた。外では新鮮な野菜、果物の露天商がならび、少しばかりの買い物を楽しむ。日本の柿(表示も「KAKI」)を見つけて思わず3つ買ってしまった。(安田)
この建物について少し調べてみた。建築家リオンデル設計により1874年竣工。もともと18世紀フランス革命以前のこの土地には修道院が建っており、その修道院を庇護していたのが聖クレールであった。構造は当時パリで流行していた鋳鉄柱+鋼材アーチ+ガラスによる鉄骨造を導入、腰壁をレンガ積造としている。建物直下には路面電車工事時に発見されたローマ時代の城壁が埋まってるという。(安田)
2010.11.09 グルノーブル自転車事情
ここでは自転車は、車道と歩道の間に設けられた専用レーンを走ることになっている。日本だと自転車は本来車道を走ることになっているが、これではとても危なくて走れたものではない。こんな風に自転車の道もキチンと作ってくれていると、堂々と走れるし、歩行者との接触事故も少なくなるだろうに。問題はやはりスペース?(安田)
2010.11.08 パリ・リヨン駅にて
グルノーブル入りにはこのパリ・リヨン駅発のTGV(フランスの新幹線)を利用する。現駅舎は1900年完成の3代目で設計はマリウス・トゥードワール。1851年のロンドン万博でのパクストンのクリスタルパレスから数えて約50年後に造られた鉄とガラスによる大架構が今も健在。本日は小雨まじりの寒い日(気温5℃)。グルノーブルまで3時間の旅。(安田)
2010.10.16 渡仏準備
渡仏を前に、余暇を利用してのロマネスク、プレ・ロマネスク修道院巡りの準備もしている。建築ガイド本をめくっていて改めて意を強くしたのは、ゴシック建築がヨーロッパ各都市の技術の粋を集め、カトリック教会組織の権威発揚を体現したのに対し、ロマネスク建築はその土地から生えてきたキノコのような実直さ、郷土料理のような多様性をもった建築であるということ。更に大切なのは、シトー会の修道士たちが地場の材料を用い、最小限のコストでこれらを自力建設し、そこで畑を耕し、葡萄酒を醸造し、パンを焼く、最低限の自給自足生活を成立させているということ。この全体性は現代の私たちが追い求めている環境配慮型社会、持続可能社会に対し、一つの究極の手本を示してくれている。(安田)
人間居住機構の他にもう一つ、国内で私が関わらせて頂いているNGO「さとやま学校・東京」が東京都多摩地区にまもなく開校する予定です。そのプレ・イベントとして2016年11月26日、檜原村の旧藤倉小学校にて「地域主義の建築を目指して」というタイトルでスライド・レクチャー会を開催します。世界の民家など伝統建築と社会のあり方の概観をとおして、これからの環境共生型の建築のあり方について考えます。
今年も恒例の土のフェスティバルが5月27日〜30日リヨン近郊のvillefontaineで開催されます。
•ブログを更新しました。(2014.09.26)
•2014年4月8日
Technical note,PublishingおよびBlogを更新しました.昨晩にカメルーンの首都ヤウンデに到着.これから3ヶ月の活動に入ります.
「バイオ-ハイテック,デジタルシティーと都市農業」。何とも刺激的なタイトルの国際ワークショップが7月15日から9月1日まで(夏のバカンスシーズン)、パリの科学技術展示場で開催されます。希望者は下記アドレスに5月15日までに事前登録が必要なようです。
atelierbionumerique@gmail.com
詳しい情報はこのURL
http://www.cite-sciences.fr/habiter-demain/workshops
2013年5月29日〜6月2日の期間で、土建築研究所クラテール主催の土のフェスティバルがフランス・グルノーブルで開催されます。今年も建築家・丸山欣也氏のグループが参加する予定です。私は残念ながら今年は参加することができません。来年こそは展示+レクチャーで参加しようと思います。詳しくは下記を参照願います。http://www.craterre.org/actualites:architectures-de-terre-festival-grains-d-isere-2013/
4月13〜15日に開催される「大江戸左官祭り」に参加します。最終日15日(日曜日)の座談会で、カリスマ左官の久住有生さんと世界の土の建築の多様性やこれからの土の建築について語り合います。http://ooedosakan.iseeall.co.jp/
2012.04.11
インテリア雑誌「コンフォルト」25号(4月号)にてフランスの土建築研究所クラテールについての記事を書きました。クラテールの今日的役割、科学的アプローチ、多様な活動についての情報満載です。是非手に取ってみてください。2012.03.15
●フランス・グルノーブルの土建築研究所クラテールで今年も土のフェスティバル、「グランズ・アトリエ」が開催されます。2012.03.01
●カメルーン首都ヤウンデから西に60kmほどの村ンゴクサにてNGO「道普請人」による道直し事業に参加してきました。雨が降ると農産物運搬がブロックされてしまう赤土の道を、住民自らが土のうによって修復できるよう指導しました。2011.08.30
●JST-JICAプロジェクトのためカメルーン入りしました。これから1ヶ月半で2つの調査拠点建設のための現地調査および基本設計に入ります。2011.08.15
●建築家•丸山欣也氏のフランスでのワークショップ報告会に講師として参加しました。当日は学生、建築家、造園家、メディア関係者の方々、約50名程にお集り頂きました。まだまだ日本では土の建築文化への関心は決して高いとは言えない中、それでも関心をもつ方々に直接お会いできたことで、おおいに勇気づけられました。講師陣は丸山欣也氏(建築家)、多田君枝氏(雑誌コンフォルト編集長)、樋口彩土氏(造園家)、美濃輪朋史氏(造園家)、ヒグチジュンコ氏(建築家)、鈴木晋作氏(セルフビルダー•アーキテクト)、そして私(建築家)。2011.07.29
●岐阜県高山の重要文化財「吉島家住宅」を見学しました。1788年建造、但し現在のものは明治38年の火災後の再建。見所は玄関土間の大吹抜け空間、および丹念に磨き込まれた木肌です。それとは別に、土間の三和土(たたき)の仕上がりも素晴らしいものです。当日は家主の吉島忠男さん、修復工芸家の方とお会いすることもできました。聞くと、あの建築界の大御所•磯崎新氏もときどきここを訪れるそう。また、家主の吉島さんは以前、丹下健三建 築都市設計事務所に勤務されていた由。私たちのアフリカでのプロジェクトにも関心をお寄せ頂きました。いずれまとまった時点でのご報告を約束してお分か れ。2011.07.26
●7月の一時帰国中、お二人の日本の左官の名工とお会いする機会を持てました。日本左官業組合(旧日左連)全国左官技能競技会で日本一となった三重県四日市の松木憲司さんと、今やコマーシャル等でも有名な飛騨高山の名工•挾土秀平さんです。松木さんには日本古来の床仕上げ「三和土(たたき)」、および「長七たたき」と呼ばれる明治の名土木技術者•服部長七オリジナルのたたき工法について教えを受けました。挾土秀平さんには「版築」工法、および「三和土」についての指導をうけることができました。お二方ともざっくばらん、寛容な方々で、豊かな経験から抽出された技術の神髄を惜しげもなく教えてくださいました。お二方には深く深く感謝しますとともに、授けられた技術を今後のプロジェクトにしっかりと応用していきたいと思っています。また、いつの日か国際協力の場で一緒に仕事ができれば素晴らしいと夢見ています。2011.07.26
●フランス、リヨン近郊にて2011年6月初旬の2週間にわたって、土の建築フェスティバルが開催されました。グルノーブルの土の建築研究所クラテルが 主催しており、日本からは毎年建築家の丸山欣也氏が参加し、子供たちの隠れ家のようなアースワークを現地の学生たちと一緒に作っています。今回丸山氏と行動 を共にされていたのがフランス人左官芸術家(日本にはない職種、左官とアーティストの中間的存在)のSylvieさん、フランス人カメラマン、雑誌「コンフォルト」編集長の多田君枝さん、設計+大工+左官他を一人でこなすセルフビルダー•アーキテクト鈴木晋作さん。2週間ほど私も仲間に入れていただき、土の建築のついて多くの情報を共有することができました。2011.06
●国際協力機構JICA/科学技術庁JST/京都大学の連携によるカメルーンでの森林保全/住民生活改善プロジェクトに参加する運びとなりました。当NGO(準備中)の役割としては非木材森林資源(土、石等)を活用した農業施設、住居などの設計、住民参加型建設のマネージメント、といった内容となる見通しです。2011.01.16
●安田が渡仏します。フランス・グルノーブル国立建築大学・土構造物研究所
クラテル CRAterre-ENSAG にて土の建築の研究を進めます。2010.11.07
●NGO設立の準備を進めています。国際協力の分野で貧困削減に取り組むための基盤づくりとなります。2010.10.04
●当NGOと密接な関係にあるNGO「道普請人」が現在進めている道直しの現場視察のためにパプア・ニューギニアに行ってきました。当地では厳しい環境の中、京都大学•木村亮教授(理事長)および福林氏(事務局長)の奮闘を目の当たりにしました。今後は同NGOとアフリカでのコラボレーションの途を探ることになりそうです。2010.07.09